中学の制服は、白いスカーフの付いた濃紺のセーラー服だった。
1年生の夏から、私はクラスの女たちにいじめられていた。
毎朝、机の中には4つ折りの手紙が入っていた。内容は「うざい」から始まり、消えてほしい、死んでほしい、存在がきもい、こっち見てんじゃねえよ。

話したことのない生徒にまで、関わってはいけない人間と認識された

最初は返事を書いて抵抗した。
「私があなたに何かしたの?消えてと言われる筋合いはない」
「あんたが何したとか関係ない、とにかく消えてほしいだけ」
私が返事をやめると、休み時間に机の横を通る時や、授業中他の生徒づたいなど、否応なしに手書きのメモが渡された。筆跡はその時々で違っていた。
ノートは回し読みされ、「あいつと話した人は無視するから」といったメールをクラスの女子全員に拡散された。入学してまだ数ヶ月、話したことのない生徒にまで、私は関わってはいけない人間として認識された。

髪を三つ編みに結った日、教室の扉を開けた途端に女のかたまりが目だけをこちらに向けてひひひっと笑った。
三つ編みとかきんもっ!!
熱を出して学校を休んだ翌日、女の一人が「なーんだ、不登校になったと思ったのに」と、斜め後ろから嬉しそうに言った。
その日の夜、両親に全て打ち明け、泣きじゃくったのを覚えている。

セーラー服は呪いの服。大人になった今でも、街中で見ると目を逸らす

放課後、使われていない教室の床に座って、消えてほしいと書かれた手紙をハサミでゆっくりと、粉々に刻んだ。それまで証拠品として全部とっておいたけれど、もうどうでもよかった。
心の奥の方にかろうじて残っていた、私はこの中傷を受け入れない、私は誰のものでもない、意志のある人間だという火を確認し、安心した。
この孤独な抵抗は、存在を保つ唯一の方法だった。2年生にあがった途端、いじめは消えた。女たちは飽きたのだ。

セーラー服は呪いの服。大人になった今でも、丈の長い濃紺のセーラー服を街中で見ると目を逸らす。クラスの女が全員怖くて、いかに誰とも目を合わさず、いかに自分の存在を消してやり過ごすかに終始していたから、同じクラスだった男子生徒の顔を一人も思い出せない。
社会を、自由を、まだ知らない十代が集まって閉じ込められていたあの檻を、お揃いの制服は感覚ごと思い出させる。

私はとても服が好き。
小学校時代、私服可だった高校時代、そして20代の現在も、自我は服によって作られ守られてきた。服に文字は書いてないけれど、私は服で自己紹介をし、挨拶をする。

もしあの時、毎日好きな服を着ていたら、私はきっと何倍も強くあれた

制服がきちんと定められた仕事は、私には合わない。リクルートスーツも、過去に数回着たが、着るだけで心が死んだ。どんな格好でも、ブレずに自分を保てる人は、私にはない強さと自信を持っているのだと感じる。
最近、スターバックスによるドレスコード改訂がニュースになった。従来よりもクルーの髪や服装の選択肢が増え、デニムや一部帽子の着用も可能だという。
私はクルーでないのに喜んだ。職種によっては、もっともっと自由で良いと思う。人間社会に生きる限り、服を着ることからは逃れられない。それならもっと、好きな色を、リラックスできる生地を、個人はまごうことなき個人であると表現できる選択を増やしたい。
私は、日常から一瞬でも服と切り離されることを本能的に許容できない。選んだ服を着ている時、内に眠る自我が可視化される。思っていることを話すための土台になる。人と笑顔で話せるようになる。

中学の服装が自由だったら、あのいじめはなかったとは思わない。もちろんいじめに服は関係ない。
ただあの時、毎日好きな服を着ていたら、私はきっと何倍も強くあれた。個人としての自信と尊厳は可視化され、きっと、クラスメイトと目を合わせた。
幼い頃から、早く大人になってどんな服でも着て歩けるようになりたいと思っていた。
だけど実際には、大人になってもあらゆるところで服の制限は過剰だった。
私はずっとずっと服を愛し、個性あふれる洒落た老人になりたい。服は自我の可視化、自由の象徴。