貧乏な家で育った。

いや、貧乏というには少しばかり裕福だったかもしれないけれど。勝手に名前をつけるなら、“地元における相対的貧困家庭”だった。学者や医者が多く住む新興住宅地の一番安いマンションの一部屋を買った親は、普通のサラリーマンだった。不幸にも、分譲マンションを買った翌年に、祖父の借金が発覚し、住宅ローンと祖父の借金返済に追われてしまった。結果、我が家は“地元における相対的貧困家庭”になった。

周りの子たちが裕福な分、「私の家」は少しずつ周りと違った

習い事もさせてもらえたし、誕生日にはプレゼントをもらえたし、クリスマスにはサンタだって来た。それでも、少しずつ周りと違った。

例えば、5,000円のピアノのお月謝は払えても、2万円の塾代は出してもらえない。ずっと公立学校頼みの勉強生活。周りの子はみんな、駅前の学習塾に行っていた。そのコミュニティには、入れなかった。学校帰りに塾に行く友達を見送って、家にとぼとぼ帰った。

洋服は2,000円までのものしか買ってもらえなかった。かわいいなと思っても、値札が2,500円だとあきらめた。中学生の時、我が地元を支配するイオンモールができた時、友達と買い物に行った。1着5,000円くらいの価格帯の店に、躊躇なく入っていく友達にギョッとした。

大学には通わせてもらえたけれど、私立なんて到底無理だった。塾も行かせてもらえなかったから、公立学校の先生頼みで、必死に不安に押しつぶされながら勉強した。落ちたら浪人する金もない。奨学金を借りるのは、祖父の借金にトラウマを抱える親が許してくれない。もし、落ちたら……。

滑り止めで受けた私立大学に受かった時、母親は喜んでくれながらも「お金が……」とつぶやいたあの顔が忘れられない。私立を蹴って、必死に勉強して、何とか国立大に入った。年間50万円で済む。これなら通わせてもらえる。もちろん、実家から通える範囲の。

20歳で一人暮らしを始め、初めて心から「幸福だ」と思った

大学の入学祝いなんて、買ってもらえなかった。周りの子がピカピカのスーツと腕時計を身につける中、姉のお下がりのサイズが合わないスーツに、雑貨屋で買った1,500円の腕時計で、入学式に行った。

何としても、何をしてでも地元を出たい。早く早く早く……。飲食と塾の掛け持ちでバイトして必死でお金を貯めて、20歳でボロアパートで一人暮らしを始めた。仕送りなんて、もちろんもらえなかったけど、初めて心から幸福だと思った。私は貧乏な家の子じゃないんだ。私は自由な大学生なんだって。

“地元における相対的貧困家庭”で育って、怖いものがある。私は、何としても2,000円以下の服を着ているようには見られたくない。地元のイオンモールで衝撃を受けた、5,000円以上する服を買う友達の姿。あれが、この世のスタンダードなんだと、悲しくて悲しくて、2,000円以内で買ったペラペラの洋服が、恥ずかしくて仕方がなかった。

今はプチプラファッションが流行っている時代だけれど、私にとってそれはようやく時代が我が家庭に追いついたとは思えない。見たくないのだ、2,000円以下の服なんて。着たくないのだ、2,000円以内で必死で揃えた服なんて。

2,000円以内の服を着ると「今ここにいる私」でなくしてしまう

だってそれを着ると、私は地元における相対的貧困家庭の娘に戻ってしまう。それは本当に恐ろしいことで、悲しいことで、私を“今ここにいる私”でなくしてしまう。今の私は、5,000円以上する洋服を買えるのに。

大好きな『SLOBE IENA』で買った洋服は、職場ですぐ自慢してしまう。「見てくださいよこれ~。めちゃくちゃ可愛くないですか?SLOBEで7,000円だったんです~」って、値段まで言ってしまう。みんな「かわいいね」と言ってくれる。「似合ってるよ」って。

私、もう7,000円の服が似合う大人になったのよ。本当は、職場の人にじゃなくて、あの頃の自分に、見せてあげたい。「私、もう貧乏な家の子じゃないよ」って。