2021年、春、沖縄。私はそこで、人生の財産となる12日間を過ごした。

ホットヨガの爽快感の虜になった私は、資格取得を目指すことに

社会人になり、めっきり運動しなくなってしまったことをきっかけに、ホットヨガスタジオに入会した。
暖房と加湿器の効いた部屋で、インストラクターの見様見真似で体を動かすと、信じられない量の汗が全身から吹き出した。もともと運動部だったので、汗をかくことには慣れていたが、今までの経験を軽々超えてくる汗の量だった。

大量の汗をかいて、体が軽くなる爽快感の虜になった私は、暇さえあればレッスンに通った。
ある日、仲良くなったインストラクターの方に「インストラクターの資格取ってみたら?」と言われた。

調べてみると、自動車の運転免許のように、主にスクールに通うか、数日間の合宿で取得できるということがわかった。特に資格が必要なわけではないが、ぼんやりと、ヨガを続けていく上での目標ができた。

その話を、同時期にヨガを始めた友達にしてみたところ、一緒に海外の合宿に行こう!と大盛り上がり。早速バリ島での合宿に申し込んだ。
ところが、新型コロナウイルスが猛威を奮い始め、直前で合宿は中止となってしまった。
意気消沈した私達は、悲しみに暮れながらも、それぞれの生活に戻っていった。

合宿で学んだ。ヨガは、最も良い状態の自分で日々を送るための練習

1年後、同スクールが沖縄での合宿開催を発表した。正直、バリ島開催に惹かれていた部分も大きかった。友達は就職してしまい、2週間近く休みを取るのは難しい。慣れない土地で、初対面の人達と12日間同じ時間を過ごす。人見知りの私にはかなりハードルの高い内容ではあった。でも。
私は1人、沖縄に乗り込んだ。

空港に到着すると、それらしき人達が続々と集まってきた。内心ビクビクしながら、バスに乗ってホテルに向かい、合宿が始まった。
地元のおばあが作る体に優しい朝食(これが本当に美味しい)を取り、マントラ(日本でいうお経のようなもの)を唱え、アーサナ(体を動かしてポーズを取ること)の練習をし、昼食後、ヨガ哲学や解剖学の勉強、またアーサナの練習をしたら、瞑想をして、夕食を取る。

朝から晩までヨガ漬けの毎日。一日中好きなことだけしている日々はなんと幸せなことか。
この合宿でたくさんのことを学んだが、1番重要だと感じたことは、ポーズを取ることだけがヨガではない、ということだ。

もちろんポーズを取ることも大切だが、ポーズを完璧にする必要はない。その日の体調や精神状態に合った、心地良いポーズを取ること。自分の体や心の、状態や変化に気付くこと。自分自身と繋がること。
他人と比べる必要はない。体が硬くても、男でも女でも、肌の色が何色でも、どんな言葉を話そうとも。

ヨガは、最も良い状態の自分で、日々の生活を送るための練習なのだ。

私の人見知り問題も、周りの皆さんの優しさのおかげでなんとかなっていた。それぞれいろんなものを抱えながら、日本全国から集まった同志の存在は、非常に心強かった。

試験終了後、ビーチで行った瞑想で流した涙は初めての感覚で…

そして時間はあっという間に過ぎ、試験の日がやってきた。
筆記試験の後、自分で考えたレッスンを同じグループになった人達に教える、というものだった。前日夜中まで考えたレッスンは、途中すっ飛ばしてしまったものの、どうにかやり切れた。

正直内容はさほど重要ではない。チャレンジしたことに意味がある。朝起きて、ヨガマットを敷いて、その上に座った時点で100点満点なのだ。

試験を終え、開放感に包まれた一同はビーチへ向かった。合宿期間中悪天候が続いていたが、その時だけ、雲の隙間から夕日が顔を出した。まるで頑張った私達を祝福するかのように。

そこで行ったのがサンセット瞑想だった。砂浜に一列に並んで座り、目を閉じて、先生の言葉に耳を傾ける。

「時に私を責めてしまう、自信がない私を、許しましょう。
愛することを、あなたらしくいることを、許しましょう。
私は私であることを認め、今の私を受け入れます」

通常、人が泣く時は、鼻の奥がツーンとしたり、目頭が熱くなったり、何らかの前触れがあるものだが、瞑想が始まると、風が吹くように、波が打ち寄せるように、自然と涙が流れた。
驚いた。初めての感覚だった。
そのうちに、あちこちから鼻を啜る音が聞こえてきた。私だけじゃなかったのだ。

かけがえのない時間を過ごせたのは、勇気を出せた自分がいるからだ

あっという間に終わってしまった12日間。全員が何かを手放したような晴れやかな笑顔で、沖縄を後にした。
「ヨガという言葉の語源は『繋がる』という意味の言葉からきている。ヨガを続けている限り、私達は繋がっているんだよ」
その言葉の通り、地元に帰ってからも、合宿で出会った仲間達と再会し、ヨガをすることができた。それは、合宿に行く前の自分には想像もつかなかった出来事だ。

資格を取得したこと以上に、あの時間を経験したこと、仲間達と共有できたことに価値があった。コラムを書きながら思い出して、胸がいっぱいになるくらい、私の人生において、かけがえのない時間を過ごすことができた。
勇気を出して一歩踏み出した、あの日の自分を褒め称えたい。