中学生の頃、席が前後で仲が良い友達がいた。その子は昔から明確な夢を持っていた。
その夢を叶えるためにこれからどうするか、そんなことをよく語ってくれた。
同じ歳なのに明確な夢があって、その夢に向かって着実に進んでいるその子がすごく輝いて見えた。尊敬していた。同時に羨ましさもあったかな。
私にも夢があった。それは女優になるという夢。でも、恥ずかしくて、私なんかが女優になりたいなんて口が裂けても言えないと思ってた。
だから、その子の夢を楽しく聞くことしかできなかったんだ。
席替えをして、明確な夢を語るその子とは席が離れてしまった
席替えをして、その子とは席が離れた。それからしばらくして、あるなんでもない日の下校時にその子が私の名前を呼んだ。振り返ると「バイバイーイ」って。なんで改まって? と思いながらも「バイバーイ」って返して家に帰った。
次の日、教室にその子の姿はなかった。先生は休みだと言った。
最後の授業が終わった時、予定のなかった学年集会が開かれて体育館に集まった。
そこで伝えられたのは、その子が今朝方亡くなったということだった。
中学生ながら、いろんなことを考えた。あんなに明確な夢を持っていて、これからを楽しみに今を生きていた子が亡くなってしまうことがある。人生を終えてしまうことがある。そんなことがあると知った。
そして、中学生だった私がその悲しすぎる出来事から感じたのは、「生きてる人間には夢を叶える義務がある」ということだった。
生きている人間が「自分の夢」「やりたいこと」を叶えることが大切
今、思う。
その夢は大きな夢じゃなくても良い。今日、自分はどうしたいか、ありのままの自分の想いを叶えてあげるでも良い。
生きている人間が自分の夢をやりたいことをきちんと捉えて叶えること。それがとても大切だと思う。
みんな自分を生きているだろうか。それは本当に自分がしたいことだろうか。いつの間にか自分じゃない誰かを生きている人って、すごく多いんじゃないかなって思うんだ。
そして、あの時の自分がそうだったように、自分を生きず、何かを気にして自分の思いに蓋をしている人も多いんじゃないかな。人からどう思われるかを気にせず、自分の心の中にあった夢をきちんと言葉に出来ていたら、その子ともっと自分たちの夢を語り合えたと思う。
私は人からどう思われるかを気にせず、夢を叶えながら生きている
今、私は生きている。人からどう思われるかを気にせず、たくさんの夢を叶えながら生きている。
看護師として救急科で働き、たくさんの人の生と死に関わった。そして、安定を捨てて、あの頃、その子に伝えられなかった夢を叶えるために上京した。そして、最初にしたお仕事は救急科看護師役だった。
今、あの日に戻れたら、私はなんの迷いもなく「私の夢は女優になることなんだ」そう伝えられるのに……。あの時は、言えなかった。恥ずかしかった。自分を生きていなかった。
その子ができていたことを、私はその子よりも長く生きて、いろんなことを経験してできるようになったんだ。遠回りしたように思えた日々の中で、私は本当の自分に出会い、自分を生きるようになれたんだ。
その子が残してくれたあの時の「生きてる人間には夢を叶える義務がある」という思いを、私はこれからも大切に自分を生きて生きたいと思う。