出せなかった手紙。
和紙封書。

毎日開く本が何よりの愉しみで、お付き合い半年のかれは誰より身近な人。
うつくしい物語や言葉を吸収して、思いやりをたくさん浴びせてもらって、ほくほくとしながらわたしは生きている。

わたしは誰かに宛てた手紙を書く時間が好きだ。
わたしは稀に、かれに手紙を手渡す。

かれと数か月会えておらず、窒息寸前な気持ちを手紙に書こうと思った

わたしは丁寧な言葉や文字が好きで、かれは丁寧に話し、聞く事が好き。
どんなことでも話せば、聞いてくれるし受け入れてくれる。こころの内を話してくれる。
手渡してはいつも持ち帰って大切に読んでくれているようで、ある時ふっと話題に振ってくれたりする。どれだけ一緒に過ごしても、話題の尽きない人。

そんなかれとしばらく予定が合わず、ここ数ヶ月、会うことができていない。
窒息寸前。わたしはあまりLINEは得意でなくて、電話か、できれば会って話したい。伝えたいことは山ほどあるはずなのに、トーク画面を開いては頭が真っ白になってしまう。
送信されるはずの文面が表示されるはずの窓も、空白続き。
瞬時に既読がついて、リアクションがつくこのツールで、こころの真ん中を書き表すことが、わたしにはどうしてもできない。

それで、久し振りに手紙を書こうと思った。
レター用品を買い集めるのが好きなのも、かれの影響かもしれない。
最近、自分にとってのとっておきを買った。京都から和紙のレターセットを取り寄せた。
これでかれに何を書こうか、ずっと、ずっと、楽しみにしていた。

手触りも書き味も楽しくて、ついつい書きすぎてしまった。便箋は5枚になった。伝えたい小っ恥ずかしいこと、最近食べた美味しかったもの、欲しいものができたこと、意味もない会話が小躍りしている。次に会えるのがとても楽しみになった。

内容よりも、この和紙封書をかれに手に取ってもらうことが大切だった

結論、わたしはその手紙を渡すことができない。
思っていた頃に会えなくなり、時季外れのような気がしてしまった。

当時も今も秋ではあるけれど、わたしの季節はそこからかなり、更新されたように感じて。
ひとつデートがふいになり、初めて、郵送させてくれないか頼んでみた。互いに実家暮らしなので気持ちはすごくよくわかるけれど、答えはノー。
写真を撮って送ってくれれば読むよ、と言ってくれた。嫌かもしれないけど、と。

開封して写真に撮るのは確かに恥ずかしいし避けたかった。
でも、わたしはかれに、手に取って欲しかった。きっと内容よりも大切だった。
そんなことは伝えられずにいる。

触覚によるコミュニケーションなんて、アナログなわたしとデジタルなかれとの間に成立しないのかもしれない。
手に取って欲しかったのだと、伝えればわかってくれるだろうけれど。

かれは丁寧に話し、聞く事が好き。
どんなことでも話せば、聞いてくれるし受け入れてくれる。こころの内を話してくれる。

この手紙は処分しようと思っている。
わたしのいろいろな思いが染みすぎてしまった。
染みすぎてしまって、渡すことも、捨てることも、未だできずにいる。
そしてかれとは、未だ会って話すことができずにいる。