数年前の4月のある日、小さな会議室に同期入社の新入社員が集められた。スーツを着ているだけの元学生たちが、その日から会社員としてのイロハを教わる。
親子ほど歳の離れた先輩社員から、挨拶やお辞儀の角度、名刺の渡し方を学ぶのだ。私たちはピヨピヨと鳴き出しそうなほど、あどけないヒヨコだった。

同期が集められた新入社員研修。敬語や挨拶の練習をした

講師の先輩はホワイトボードの前に立つと、お手製のパワーポイントの資料を配って言った。
「これから皆さんは会社の看板を背負ってお客様の前に立つことになります。この研修で、お客様からどう見られなければならないのか、学んでください」
すぐに敬語の小テストが始まった。小学校で習う内容だ。使わなければ忘れるが、思い出せれば全問正解できる。それから隣同士向き合って発声練習。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と同期の顔を見ながら復唱した。

ファンデーションが白く浮き、素肌の赤みが見えている。彼女は高卒入社と言っていたから、平日朝に化粧することは今までなかっただろう。眠い目をこすりながらファンデーションを塗ったと見える。
白い指をぎこちなく重ね合わせ、私に向かって真っ直ぐ頭を下げた。私も既に床を見ている。古ぼけたリノリウムの床。

「女性は、化粧をするのがマナーです」。研修で言われた言葉

昼休みは皆で社食に行った。オフィスの周りは殺伐とした工場地帯で、レストランという横文字は到底望めない。まずいと評判の社食も、新鮮味があれば不満はなかった。
それも同期と一緒に食べるのだから、スマホゲームの話だけで1時間はあっという間に過ぎる。気持ちだけ小走りして会議室に戻った。
新設に組み立てられた研修プログラムが、時間に沿って運ばれてくる。
私たちはそれらをだらけた握力で掴み取る。テキトーなのだ。「社会人の自覚」と連呼されても、入社1週間で実感など湧かない。
残念ながら私はそこまで真面目ではなかった。他の同期も気怠そうに見え、座っているだけで給料が発生する異常事態を傍観していた。

「おしゃれは自分が楽しむためにするものですが、身だしなみはお客様を不快にさせないためにするものです」
耳が僅かに動いた。私は洋服が好きである。
「特に女性は、化粧をするのがマナーです」。和製英語の「マナー」は英語の"manners"の意味なので、"manner"は「習慣」と訳すこと。いつだったか、授業で聞いた言葉がぼんやりと頭に浮かんだ。

あの頃は化粧とは無縁だった。校則が厳しいことで有名な学校だったので、化粧もパーマもアイロンも携帯さえも、全て禁止だった。
反発している同級生もいたが、私は気にならなかった。むしろ、毎朝化粧して髪を巻くなんて七面倒なことをしなくて済むなら万々歳だと考えていた。

大学でもノーメイクだった私。女だからって化粧を強要されたくない

可愛くなりたいという同級生の熱意は尊敬したが、仮面を美しく飾るよりも土台をより良くすることに注力すべきだとも思っていた。
そして何より、化粧水と乳液だけの自分の素肌を悪くないと思っていた。傲慢ではなく自己肯定感と呼ばせてほしいと、この場を借りてお願いしてみる。
進学した大学でも基本的にノーメイクであった。4年間のうち、化粧をしたのは片手で足りる回数ではないだろうか。
そういうことだったから、先輩社員の件の一言がことさらに耳についた。

化粧を義務づけられるほど、女性は醜いだろうか。化粧を免除されるほど、男性は美しいだろうか。化粧を強制されるとは、常に美しくあらねばならぬという圧力ではないか。化粧を許可されないとは、美から放逐されることではないか。

男と女。社会を二分する透明なアクリル板が、目の前に迫ってくる。心身ともに女である私が組織で働くには、「女」という仮面を被って「女」という形式美を演じなければならないらしい。
私は女である前に、一人の人間であるはずなのに。会社員という称号に加えて「女」という看板を背負わなければならない。

ニキビを隠したいと化粧する友人がいる。好きな韓国のアイドルに近づきたいと化粧する友人がいる。どんな動機も私は肯定する。彼女たちは化粧することで自分を鼓舞し、笑顔とコミュ力に磨きをかけている。
だが、自らの意思で選択できない生得的な性別を理由に化粧を強制されるのは、まっぴら御免だ。

毎日すっぴんで働いている。化粧をしない選択も尊重してほしい

化粧をするのがマナーです、なんて、裏を返せば「化粧しなければ失礼だ」という意味だ。
これこそ失礼なのではないかと、私は思う。

だから、化粧をしないという私の選択も等しく尊重してほしいと願う。
あの研修から数年が経った。化粧して出勤したことは一度もない。毎日すっぴんで働いている。職務に支障を来したことは一度もない。
化粧するかしないかで仕事の出来、不出来は左右されない。

自慢したい私。それはすっぴんを続けてきた私だ。
信条に反する圧力に屈しなかった意志の強さだ。頑固、とも言える。認めよう。
もし一つだけ言い添えるなら、私は化粧が好きだ。
友人の結婚式やイベントに参加するとき、嬉々として化粧をする。何色のアイシャドウを引き、何色のリップを塗るか。考える時間は無上に心ゆかしい。

好きだからこそ、他人に強制されるのではなく自分の思うままに化粧をしたい。私のすっぴんは、フェミニズム的深い訳があるのだ。蛇足ながらも。