私は春休み、家出をした。行き先と宿泊地もと帰りの飛行機の便だけを書き残して。
バイトも勉強も何もかも放棄して、どうしても現実から離れるために1週間の休暇が必要だった。

事前に決めていたのはホテルと帰りの飛行機だけ。私は家出をした

それは旅行だ、と思う人もいるかもしれないが、旅行ではない。何もわからないところへとにかく1人で出かけたくなったのだから。
何故そんな過激な方法を取ったのか。父のちょっとした小言に削り取られる精神に限界を迎え、1人になりたかったからだ。

まず初日、とにかくキャリーバックに服と本とパソコンやらiPadやらを詰めて、新幹線に飛び乗った。新幹線に揺られ約2時間半。その中でここから1週間どんな旅をするか考えることにした。

なにせ事前に決めていたのは七7日間のホテルと帰りの飛行機だけなのだから。
家出期間中、大阪の街を散策し、道頓堀を歩く人をただひたすら観察してみたり、大阪の有名な観光地を巡ったり、近くに住んでいる友達に聞いたおすすめのグルメをホテルにテイクアウトしたり、その町の風土を楽しんだ。

また1人で何日間か京都へ出向いて、コロナの影響で延期されていた、冬の特別拝観で沢山の貴重なお寺の建造物や文化財を見ることができたり、前々からずっと行きたかったお寺をひたすら巡った。

途中で別居の母と合流して高野山に行って、奥の院の方まで散策したり、奈良の奥地にある寺、室生寺に行ったり、友人と合流して神戸の街を巡ったりもした。

大阪で過ごす1週間は、同じ都会なのに東京との違いに少々驚いた

コロナ禍での外出ということで、kf94マスクを付けてこまめな手指消毒やうがいなどをして、かなり気をつけて過ごしていた。
1週間も大阪で過ごしていると、東京との違いに少々驚くことがあった。

東京では渋谷スクランブル交差点や、池袋駅前の交差点、銀座四丁目交差点に自転車の数は少ないが、難波駅前の百貨店の前の交差点では自転車が爆走していたことだ。

同じ日本人の中でも、西と東では同じ都会でもこんな差があるのか、と少々驚かされた。
そしてタクシーや、バスの運転手さん、店員さん、お寺のお坊さんなど、出会った人に話しかけられることの多さ。

そして出会った人みんなお話好きだからなのか、話がとても面白いのだ。
駅前通りの路上でスケボーで走っている人がいたり、なんだか同じ都会なはずなのにこんなにも違いがあるのか、となんかとても興味深く、何故こんなにも違いが生まれるのか、知りたくなった。

家出をしたことで、少しの変化に目を向けられる余裕を手に入れた

また、東京に比べ、飲食店の食事1回あたりの価格が高い気がする。そして、そのぶんどこの飲食店に入ってもほとんどハズレを引くことがないどころか、しっかりと何処のお店も様々工夫を凝らした美味しいメニューが提供されており、コストパフォーマンスが高いな、と感じられた。

各地方文化というのは独自に発展するものだが、西と東で同じ都会でもこんなにも違いがあるというのが私が得た1番の発見だった気がする。

そして自分が家出という休日を得たことで、自分の興味の対象にしっかりと向き合うことや、ちょっとした変化や気づきに目を向ける心の余裕を手に入れることができた。
なかなか忙しいと疎かになりがちなことだが、自分と向き合うことは、今の自分を知ることであり、自分を知ることが出来ずに、そもそも他の知識などを入れてもうまく運用できず、無駄になってしまう。

日々、大学、バイト、友人関係、その他諸々、追われるものは沢山あっても自分と向き合う心の余裕を持つことで、新たな自分を見つけ出せるのではないか。
今回の家出という休日により得られたものは、知識と経験だけでなく、自分の内面にとって大きな変化なのではないだろうか。