何かで大成したとか、大きな自慢話は浮かばないけど、私は私のことが大好きだし、褒めるのって大事って思ってる。
1つ目の自慢ポイントは、「不思議な交友関係」。
私が友人の話を別の友人にすると、「それは何歳の人の話?」「その人は何人?」とかいう、恐らくあまり一般的ではない前提確認が行われる。

共感で惹かれ合うのもいいけど、全く違う背景って刺激的!

大学以降、自分の力でどこにでも行けるようになってからできた友人は、自分で顧みても、確かにバラエティに富んでいる、気がする。
高校生までって、学校や塾、習い事で繋がる人が交友関係のほとんど全てで、2、3歳上の人でさえ、どこか遠い存在だった。
そんな時代を越えて、大学生になると、世界は一気に広がって、特にお酒を飲むようになってから急拡大した。
学校や習い事を通して出会う人は、ちょっと変わった人がいたとしても、受験を経て出会う人や親の交友関係から通っていた習い事の人はみんな、大枠は似たような家庭環境や経験を持つ、「共感」の多い人々だった。
一方で、バイト先だったり、街や旅先で出会った人たちは、私とは全く変わった背景を持っていて「刺激」の多い人々だった。
社会人歴10年だけど日本での職歴はゼロな日本の大学出身の人、世界一周中にエジプトでダイビングインストラクターになっちゃった人、若くして飲食店を7店舗経営してる人、アイドルをしてる人、ちょっと例をあげても濃いなと思うばかり。
自分にないものをたくさん持つ人の話は、日常会話でも面白く感じる。そんな人たちとの共通点はきっと、コミュ力と行動力。

根拠なんてなくたって、場数と謎の自信は私を強くし、動かしてくれる

コミュ力と行動力、これらはきっと2つ目の私の自慢ポイント。
人生の節目で生活拠点を幾度か変えているので、その度にコミュニティがガラッと変わる経験を、私はしている。
ゼロから新しいコミュニティに飛び込んで、新しい交友関係を築いていくのは正直、結構しんどい作業だと私はひしひしと感じている。
でも、そうしないと独りぼっちな状況に身を置いたからこそ、今の自分がある。
そう、私は幼い頃はとっても人見知りで知らない人がいるとお母さんの後ろに隠れてしまうような子だった。
実の所は、今も人見知りだ。それでも場数を踏むことと、自分に自信を持つことで徐々に緩和されてきた。自分に自信を持つなんて言うと大きな転換が必要にも聞こえるけど、私の「自信」には何か根拠がある訳ではなくて、ただ「私なら仲良くなれる」とか「私にも好いてもらえる部分はある」とか漠然としたものばっかり。でもちょっと自信を持つと顔を上げられて、周りが見えるようになる。そうすると人と目が合うようにもなるし、話もできるようになる。
こうしているうちに、私は新しい人に会うことを楽しみ、面白がれるようになった。
出会いを楽しめていること、これこそがコミュ力が高いと言ってもらえる所以かな、なんて今は思う。
コロナ禍で、このところはちょっと難しいけど、少し前はザ・ローカルな飲み屋に行っては、そこの常連さんや店員さんと仲良くなって、次はその人たちがおすすめするお店に行くなんて飲み方をしてた。
自力では見つけられなかっただろう、ディープなお店に辿り着けた時こそが至福の境地で、このために頑張ったんだとか思ってた。

他人が思う私の良さと違っても、自分を特別に思える部分って素敵だ

コロナ禍になってから引っ越した今の街では、まだまだできてないことだけど、私の自慢の「コミュ力と行動力」を活かして、自慢の「不思議な交友関係」はこれからもどんどん広げていきたいな、なんて思う。
Jim Rohnの言葉に「付き合いの長い5人の平均が自分」というものがある。
私は、自分が自分を楽しむためにも色んな人と出会って自分をどんどん濃くしたい。

自慢なのか何なのか分からなくなってしまったところもあるけど、自分が自分を特別に思える部分って素敵だと思うから、それで良いかなと思う。
あと、自分が思う自分の良さと、他人が思う私の良さって必ずしも一致しない気がする。自分としてはまだまだ未熟だと感じているところを褒められることもあるし、これは得意と思っているところが評価されない時もある。
だから自分が自分らしく過ごせてたらそれだけでいいし、それだけで自慢できる生き方なんじゃないかな。
私は、私らしく生きられてるし、今を楽しめてるからそれだけで自慢な人生。きっと。
嫌なこともあるけど、その分良いこともあるから。