中学3年生のときだったと思う。昼間は晴れていたのに、下校時間になって突然強めの雨が降り出した。学校から家までは15分程度。ロッカーに折り畳み傘があることを知っていながら、その日、私は傘を使わないで濡れて帰ることにした。

悲劇のヒロインを演じてみたくて、雨の中傘をささずに歩いてみた

たぶん、ドラマや映画の悲劇のヒロインのようなことがしたかったのだと思う。土砂降りの中、雨に打たれながら独りぼっちで歩く。特に悲しいことがあったわけでもないけれど、なんとなく、そんなことをしてみたい気分だったのだ。

昇降口を出ると、一人傘をささずに雨の中を歩きだした。自分の決断にワクワクしながら、ものすごく晴れやかな気持ちで。

でも、雨に濡れるのは、決して気持ちが良いことではない。雨粒が目に入るから目を開けづらいし、濡れた前髪は額に張り付いて鬱陶しい。服は濡れて重くなるし、靴や靴下もびしょびしょになって、つま先がどんどん冷たくなっていく。濡れたカバンの独特のにおいも、決して良い香りではなかった。

だけど、当時の私は、そんなの気にならないほど自分のシチュエーションに酔っていた。土砂降りの雨の中、独りぼっちで傘もささずに歩いていく私。頭の中でBGMを流しながら、ミュージックビデオのワンシーンを想像して歩いていた。

自分の世界に浸り無敵な私へ放たれた、祖母の正論すぎる言葉

きっとニヤニヤしながら歩いていたのだろう。すれ違った女子高生が、こっちを見ながら「キモイ」と言ったのを覚えている。もし今の私が女子高生に「キモイ」と言われたら相当落ち込むところだが、あの日の私は無敵だった。他人の目が全く気にならないほど、100%自分の世界に浸っていたのだ。

いろんな作品のワンシーンにいる自分を思い浮かべて、超ご機嫌で帰宅した私だったが、家で待っていた祖母はドン引きしていた。

「そんなにびしょびしょに濡れて。学校に傘あるでしょ?」
「電話くれればおじいちゃんだって迎えに行ったのに。ケータイだって持ってるじゃない」
「風邪引いたらどうするの?」

正論すぎて、返す言葉も無かった。

「ドラマのヒロインみたいな気分に浸って、自分に惚れ惚れしながら帰ってきた」とは言えず、たしか、「学校を出たときはこんなに雨が強くなるとは思わなかったの」みたいなことを言いながら、玄関で祖母からタオルを受け取った。

後のことを考えれば雨にわざわざ濡れるなんて馬鹿らしいことなのに

祖母とのやり取りの後、私はもう現実世界に帰ってきていた。びしょ濡れのカバンと教科書、靴を見て、「明日学校どうしよう」と思いながら、正座で一生懸命ドライヤーを当てていた。

あの日以来、傘があるのにわざとびしょ濡れになったことはない。服や靴が濡れるのが嫌だし、髪型だって崩れてしまう。濡れた後のことを考えれば、雨にわざわざ濡れるなんて馬鹿らしいことだ。

そういえば、大人になってから、行動する前によく考えるようになったと思う。何をするにも、お金や時間、リスクをよく考えて、結局行動に移さないことも多くなった。おかげで後悔したり恥をかいたりすることは少なくなったけれど、何か大切なものも失ってしまった気がする。

無限の好奇心と根拠のない自信、後先考えない大胆さと、周りが見えないほどの一途さ。きっと、他にもたくさんのものを無くしている。
ときどき、無くしたものに見合うほどのことを私は成し遂げただろうか、と考え込んでしまう。