これは来月三十路を迎える私に向けられている、と思った。

久々に開いたFacebookで流れてきた広告。
いつもなら読み飛ばしてもおかしくないのに、なぜだかスマホを滑らす指を止めた。

それはエッセイを募る広告で、締め切りは今週末。
なにより募集文の締めくくりがこうである。

「18~29歳の女性の方限定」

知らなかった。『かがみよかがみ』はたまに読んでいるけど、こんな風にエッセイの募集をしているなんて。

エッセイなんてそこまで読んだこともないし、書いたことなんて一度もない。
でも、これは書いてみたい。いま書かなければと思った。

だってこれは、来月三十路を迎える私に向けられている。

つり橋を一人進む私と、遠くで笑う友人。本当は一緒に笑うべきだけど

広告が目に留まった理由は、意識してないけれど多分もう一つあって、これが「けんかの思い出」をテーマにした募集だったからだと思う。

私はきっと、他の人よりもけんかや衝突の多い29年と11ヶ月を生きてきた。

よく言えば、自分の「その時々の感情」を大切にする性分。
サプライズの感激も、ご飯が美味しい嬉しさも、顔や態度に自然と出るから、周りの人が笑顔になってくれることも多い。
でもそれが逆に作用してしまうときもある。

この間もそうだった。

ずっと楽しみにしていた屋久島旅行。縄文杉を目指す道中、何本目かのつり橋で、先頭を歩く私は言った。

「ねぇ、ここも結構高いよ、下の川もさっきのとこより流れが速いかも」

恐る恐る歩を前に進め、橋のちょうど中腹くらいまで来たときに気付いた。

……うしろ、きてないかも。

向きを変えるにも足がすくむつり橋の上で振り返ると、一緒に来ていた友人たちが口に手を当てて遠くで笑っている。

分かってる。こういう時は「もーやめてよー!」と笑って言うのだ。
向こうだってちょっと驚かそうって思っただけで、きっと深い意図はない。

でも。そんなことは分かっているけれど、橋の向こうにいる二人は、結託して私を笑いものにして楽しんでいる。
いつから騙そうとしてたんだろう、さっきまで一緒に笑って写真を撮っていたのに。
橋の直前で?出発前にトイレで待たせていた時?もしかして、飛行機に乗る前?

ひどい。全然、おもしろくない。

「その時々の感情」を蔑ろにできず、仲直りのタイミングを見失った

ここからは先を歩かせて、二人が気づかない間に引き返して心配させちゃおうかとさえ思う。
でも案外気にされず、登山口で一人帰りを待つことになったら一層淋しいし、私だって縄文杉は見たい。

一瞬の間に色々考えたけれど、歪んだ顔を元に戻せなかった私は、何も言わず前を向き直してずんずん進むことにした。
残り半分のつり橋は少しも怖くなかった。

私は「その時々の感情」を大切にする性分。でもそれは、「その時々の感情」を蔑ろにできない、ということでもある。

のけ者にされた悲しさを、知らずに独りごちていた恥ずかしさを、どうしても笑ってやり過ごせなかった。

だから思ったままに踵を返したけれど、歩を前に進めながら、どこできっかけを掴もうか悩んでいた。

だってまだ縄文杉への道のりは序盤も序盤。あと8時間、どうしよう。
自分で曲げたへそを自分で直すことがどうしてもできないのだ。

だってそれに、悪いのはそっちじゃないか、という気持ちも、早く仲直りしたい、の陰でくすぶっている。

悩む私に手を差し伸べてくれたのは、結局友人たちだった。
1ブースしかないトイレ小屋の前で休憩をとることにしたときに、それぞれ2人きりになったタイミングで頭を下げてくれた。

感情に振り回され引っ込みがつかなくなる私は、20代に置いていく

私はいつもこうやって振り回されてきた。相手の何気ない言動にではなく、それに過敏に反応する自分の感情に、である。

それは、せっかく帰省した私が家族で出かけたいと思う横でテレビを見て笑う父と母に。
私があまり仲良くない人と週末飲みに行ってしまう彼氏に。
一緒に帰ろうと約束したのに、いざ帰るときになって「この子もいい?」と他の子も連れてくる友達に。

もう、悪気がなかった相手に気まずい思いをさせて謝らせてはいけない。
だからこれは、来月三十路を迎える私に向けられた一つのテーマだと思ったのだった。

そうやって引っ込みがつかなくなる私は、20代に置いていこう。
年齢の節目を前に一本の広告がくれた最後のチャンスで、少しは成仏できた気がする。
感謝を込めて、筆をおく。