今から13年前、現在大学3年生の私が小学校2年生だったときから、なかなか変えられなかったことがあった。

小学生の頃、国語のテストで100点をとったのに数学は45点だった

国語のテストで、100点をとったのはクラスで2人だけ。1人が私。もう1人の100点の友達は他の教科も運動もできたように思うが、私は決してそうではなかった。
算数の計算テストは、45点だった。小2の時点のこの点数を、十分だと捉えるか、かなりまずいと捉えるかは人によると思う。しかし、当時の私にショックを与えるには十分な点数だった。
父は、自分の娘が計算に弱いことに早々に気づいていた。その父と毎朝100マス計算をするなど、私は既に自分なりに頑張っているつもりだった。だから、できない自分に驚いたのかもしれない。
周囲の席のクラスメイトたちと点数を見せあったが、私の点数がいちばん低かった。それからずっと、計算に限らず算数は苦手だった。問題を解くのにものすごく時間がかかるのだ。

小学5年生のときの担任は熱心な先生で、算数においては、独自の形式の計算プリントを毎日宿題に出した。そのおかげで、少しは計算に手間取らなくなったような気がする。しかし、算数そのものの苦手を克服することはできなかった。

中学生・高校生になっても、私は「数学」が苦手だった

中学に入って算数が数学に変わっても、この教科は苦手だった。ただ、他の教科も含めて見れば成績は悪くなかった。定期テストの5教科の合計点数が、学年の中で1位になることもあった。
それで苦手なんて大袈裟だ、と思う方もいらっしゃるだろう。しかしながら私にとって、計算、算数及び数学はずっと目下に居座り続けるの課題だったのだ。
赤点をとるようなことはないけれど、どの教師の目から見ても苦手教科は数学だとわかる。個人面談で特にいうようなことのない生徒だったから、とりあえず、「数学をもうちょっと頑張りましょう」「数学だね」「数学さえなんとかなれば……」と大抵これを言われる。これが中学時代。
高校入試の数学の点数は、同じ高校を受けた受験生の中ではかなり悪かった。なんと一問間違いだった国語のおかげで、なんとか第一志望の進学校に受かった。

高校生になってからも、国語はそこそこできていた。しかし、流石に数学の成績の悪さは目立つようになってしまった。他の教科を含めた成績も良いということは、決してなくなった。そんなわけで、はなから決まっていたように文理選択では、文系を選んだ。
しかしまだ、「数学とはおさらば!」というわけにはいかなかった。国公立大学への進学を目指したため、受験科目として数学の勉強は必須だった。文系科目だけで受験できる私立大学も考えたが、まだ数学が苦手な自分に諦めがついていなかったのだと思う。塾にも通い、数学の点数は亀の歩みで伸びたが、それでは間に合わなかった。
文系3科目で出したセンター利用入試で合格した私立大に入学した。またも国語は一問間違いだった。つまり、このときも国語に助けられた。

大学生になっても数学で学んだ内容が必須で、私は必死に勉強した

ずっと、国語は得意、数学は苦手だったが、国語ができた自分よりも、数学をなんとかしようと思い続けられた自分の方を褒めたい。結果は、大学に入ってから見えたから。
私の入った学部では、統計の授業が必修だった。計算をするのはコンピュータだが、テストでは数学ⅠやⅡで学んだ内容が必要だった。
もう一度、数学を使う機会があったのだ。私は、統計で使う限られた範囲だけなら、今度こそと思った。授業を隅から隅まで理解しようとした。

統計の期末テストは満点だった。高校の定期テストや入試に比べたら、なんてことないテストだったかもしれない。それでも自分は満足できた。素直に喜んだ。ここにたどり着くまでの私はちょっとえらかったと思う。