人生の中でもう一度戻りたい時代はいつ?そんな話を私はよく友人とする。そんな時、決まって私は「ダンスに夢中になっていた時代」と答える。
私にとってダンスは自分を輝かせてくれるもの、自信をつけさせてくれるものであったから。だから普段これといった長所がない私でも、ダンスをしてステージに立っている自分のことはちょっと好きだった。
その気持ちに気づいたのは中学2年生の冬だった。

「観客の顔をニンジンだと思っているのはもったいない」と気づいた日

私が通っていたダンススクールの最後の発表会。このステージを最高のものにするためにこれまで各クラス、チームで練習し、個人的にも磨きをかけた。
そしていよいよ当日。緊張と興奮の気持ちが入り混じる頭の中で、私はふと思い出した。「舞台に立つときに緊張してしまうから、観客の顔をニンジンだと思うようにしてるんだ」と友人が口にしていたことを。
その言葉が頭の片隅に残ったまま、暗い照明の中ステージに立ち、音楽と共に照明が私たちを照らした。そして私は今まで見えたことがなかった景色を見た。
それは観客の表情だ。観客は、私の動きにとても驚いているようだった。そして何より楽しんでくれているような表情をしていた。
その時は言えなかったが、友人に言いたい。
「観客の顔をニンジンだと思っているのはもったいないぞ。あんなにもキラキラした目で私たちを見てくれている人がいたよ。私たちのパフォーマンスで人を感動させることができたかもしれない、いやできたよ」と。

入賞するために、ひたすら技術を磨いて挑んだコンテスト

そして中学3年生の夏、私はさらにその気持ちを実感した。それは、小学生の頃からチームを組んで長年出場していたダンスコンテストでのことだった。
多くの出場者に対して、審査するのはたった数人の審査員。その数人の審査員の印象に残るためには、チームとしても個人的にも相当の実力がなければ入賞は難しい。精一杯練習をして臨んだが、毎年入賞には程遠かった。
技術的な面ではなく、印象的な演出で記憶に残ってもらえるように笑いユニークさを取り入れた年もあった。しかし、出場者全体の講評の中で、その印象のつけ方はあまりよくないという評価を受けたこともあった。
どうすれば入賞できるのだろう、どうすれば審査員の記憶に残れるのだろう。私はひたすら技術を磨くべく練習をした。かっこよく自分を魅せられる体の向き、首の角度、しぐさ、表情、すべての面を研究した。
そしてコンテスト当日。会場は例年通りたくさんの出場者とその関係者、観客でにぎわっていた。
そのにぎわいの熱気が、毎年私を高揚させる。私は早くステージに立ちたかった。同時にこの時間が終わってほしくない自分もいた。

楽しそうにダンスを見てくれた観客と審査員の顔を忘れない

そう思っているのもつかの間、ついにその時はきた。最高のステージにしようと仲間と誓い踊った。この時も前と同じように観客、そして今回は審査員の顔もよく見えた。
前まではどんな顔をして見られていたのか分からなかったし、知らなかった。しかしその時私が見た景色は、だた私たちを直視しているのではなく、楽しそうに見てくれている観客と審査員だった。
そしてその後入賞には至らなかったものの、審査員が印象に残ったダンサーの中に私の名前を呼んでもらうことができた。練習や努力は裏切られるものだと耳にしたことがあるが、決してそんなことはない。自分が目指したものとは、違う形になってしまうかもしれないけれど、絶対に費やした時間や努力は裏切らないことを私は知れた。
そして同時にこの時、私はこう思った。
この景色を見たのは私しかいない。私たちのパフォーマンスを見てくれている観客と審査員のあの表情は、誰が何と言おうと私にしか見えなかった景色。そして何年もかかってしまったけれど、人に印象を残すことができた。
この景色を見れた私、やるじゃん。