算数は好きじゃなかった。1番苦手だった。
わたしは中学受験をした。塾での成績は結構良い方だったが、第二志望の女子校に入ることになった。
中学受験では、点数の比率が算数>国語>理科≒社会と階段状になっていることが多かったのだけど、わたしは算数がどうにも苦手だった。中学高校に入ってもきっと数学はそんなに得意ではなく、文系に行くだろうと思っていた。
昔から書道をやっていて、部活は書道部と心に決めていた。でも書道部は週に2回しか活動がなかったから、兼部することにした。
何故か「数学研究部」、通称「すうけん」と兼部することにしたのだった。
中高一貫校では高3を除いて最大5学年の部員が揃うのだが、すうけんは最高学年が中3で、中2が1人しかいないまさに“風前の灯火”という状況だった。
変わった人の多い部活だったが、特に中2のO先輩は凄く賢い人のようだった。

へたっぴな私のボールを拾ってくれるO先輩。それは大きな無償の愛

7月には球技大会があった。ふと通りがかった中学バレーボールの試合で、サーブを打とうとしているのはO先輩だった。
バレー部でもない中学生はだいたい下からのサーブしか打てないのに、O先輩はフローターサーブを華麗に決めていた。もともと背の高い先輩だったが、本当に大きく見えた。“惚れた”以外の形容が見つからなかった。
通っていた女子校では先輩を推すことが珍しくなかったが、わたしはO先輩を推すようになった。

時は流れてわたしが中3、O先輩は高1になった。その年も球技大会の季節が近づき、クラスで出場競技を決めた。わたしのクラスではバレーボールが人気で、出たかったけどくじで外れた人がいた。わたしは戦力にならない運動神経だけれども、くじで当たってバレーボールに出られることになった。
真面目に練習しなくてはくじで外れた子たちに申し訳ないと奮い立ち、O先輩にバレーボールを教えてもらえないかとお願いをした。O先輩はよく昼休みに体育館でバレーボールを練習していたが、そこに混ぜてもらえるようになった。
まず投げられたボールを打ち返すことから始まった。わたしはちっともできないから、投げてくれた先輩のところに打ち返せなくて、右に左に走って先輩がボールを拾ってくれた。
昼休みの間ずっとわたしのへたっぴなレシーブ練習に付き合ってくれて、しばらくするとわたしも思い通りに返せるようになってきた。どう考えてもわたしより労力を割いてわたしの練習に付き合ってくれた。
家族以外の他人から受け取った無償の愛で、このレシーブ練習より大きいものは未だないように思う。

急激に伸びた数学の成績をシンプルに褒めてくれた先輩の言葉が嬉しい

O先輩にバレーボールを教わっていたのと同じ頃、わたしは数学が急激にできるようになってた。数学と英語は中3から習熟度別の授業になっていて、わたしはどちらも1番上のクラスにいた。
前期中間試験の直前になんとなく、数学の教科書の試験範囲とその次の単元を読み流した。前期中間試験は数Ⅰの集合とか命題の単元が主だった。
抽象的な内容だからか1番上のクラスでも出来は悪かった、とテストを全員に返してから先生が言った。でも、1人だけ90点台がいますと先生が続けた。
手が震えた。それは、わたしのことだったからだ。間違いなく、目の前のわたしの答案用紙には94と書かれていた。数学が得意とは思っていなかったけど、学年で1番できたのはわたしだったのだ。
昼休みにO先輩にそのことを言った。O先輩は数学が大変できる人だったから学年1位も珍しくなかったのか、それとも性格からか、そんなに大袈裟な反応はくれなかった。
でも先輩がよかったねと簡素な褒め言葉をくれただけで本当に嬉しくて、それからわたしの数学の成績はぐんぐん伸びた。

憧れの人たちの世界に近づきたくて、物理も数学も勉強が進む

塾には行っていなかったから、1人で先取り学習をした。数Ⅰの内容はすぐに終わってしまって、中3の間に数Ⅱの内容に入った。
先輩に、今度のテストも良かったです!と報告したり、ここってどういうことなんですか?と聞いたりできるのが嬉しくて、いくらでも勉強できたのだった。
先輩は数学オリンピックに出るほどだったから、わたしなんて足元にも及ばなかったのだけど、少しでも先輩の理解している世界に近づける気がした。

高1になると数学だけでは足りなくなって、物理に手を出した。物理も1人で勉強するとすいすい進んだ。O先輩とは別に、A先生という人が物理でのわたしの憧れだった。
自分で勉強してわからないところをA先生に聞きに行くと、これまたA先生も反応が薄いタイプだったのだが、少しは褒めてくれていた。
ある定期試験の後にまた質問に行き、帰ろうという時、「答案の記述が丁寧で物理をよく勉強していることが伝わってきた」と言われたことが決定的だった。多くのクラスメイトは物理がつまらない分からないと言うけれど、A先生側に少しでも行けた気がした。

今は交流がなくても、私が予想もしない道に進めたのは2人のおかげ

そのあと高2以降はいろんな事情でO先輩ともA先生とも交流が絶たれてしまったけれども、文理選択では理系に進み、物理を選択した。
我が女子校では1番不人気な道である。わたしは相変わらず数学が学年トップレベルにできて、物理も選択者の中で群を抜いてできた。
O先輩と最後に連絡できた時に「あなたは後輩の中でも特別だった」と言われたこと、A先生が偶然わたしの弟の学校に移籍し、弟が話しかけるとわたしのことをよく覚えていてくれたこと。憧れた2人の心にいられたことがどうしようもなく嬉しかった。
もう交流する手段がないのだけれど、O先輩とA先生のおかげで入学当初は思いもよらなかった道に進むことができた。