ケンカするほど仲がいい。
そうは聞くものの、実際のケンカを目の当たりにすると、ひどい言葉が飛び交ったり手が出たりと決して仲がいいようには見えなかった。
そもそも私はあまりケンカをすることがなかった。ケンカをしたところで何も良いことはないし、ケンカをするほどのことでもないかと、たいていのことは受け流してきた。

学生時代に出会った人たちと、ケンカをした経験がほとんどない

小学生の頃は、少し大人びていたため、ケンカをするレベルじゃないなと、強く意見を言うのは先生相手だけだった。そのため、友人とケンカをした覚えはほとんどない。
中学生の頃は、ケンカをするような内容がなかった。宿題の話や勉強の話、休みの日は何してるかなど、ただの日常話ばかりで、ケンカに発展するような話題はなかった。
高校生の頃は、友人と衝突することがあった。しかし、友人の1人が統合失調症か多重人格だったため、ケンカにならなかった。私のことが誰だかという認識もなくなってしまうこともあり、私の言葉は届くことなく、ケンカにならなかった。
大学生の頃は、周りとぶつかることを極力避けた。受け入れたら円満に進む、私が引き受けたらもめないと考え、淡々とこなした。多少嫌なことがあっても、周りから頼られたり、ありがたがれたりしていたので、大きな負担にもなっていなかった。
そのため、学生時代に出会った人たちとケンカをした経験が、ほとんどなかった。

ケンカできるほど向き合うことを避ける私を気づかせたのは。姉と元彼

「ケンカしないでこれたのってすごい!」「たしかにわかちゃんがケンカしてるところって見たことない!」と周りから言われた。
先生との面談でも「分け隔てなく接することができる」「友だち想い」などと評価されていた。ケンカをしないことがいいことだと自然と思うようになっていった。
でも、ケンカしなかったのは、ケンカができるほどの関係にこれていなかったからだと気づいた。
相手のことをこういう人だと勝手に決めつけ、意見をぶつけ合うことを避けた。
相手とぶつかることを恐れて、自分が受け入れればいいと妥協した。
私はうまく人と付き合ってきたのではなく、人と芯で向き合うことを自ら避けていたと。

それに気づかされたのは、姉と元彼の存在だった。
姉はほとんど私に隠し事をしない。言いたいことはストレートにぶつけてくる。そのため、意見が食い違うとすぐに反論された。
もう1人は元彼だった。言葉の選び方は気になるが、すごく素直な人で、思ったことはすぐに口に出す人だった。
姉と元彼の性格が全然似ていないが、私のことが好きであることと、私と真正面に向き合おうとする姿は同じだった。
だから、その2人とはケンカになることもあった。
たいてい私が怯んでしまい、言い返せず終わってしまう。
家族の前以外ではほとんど泣かず、ましてやケンカで泣くなんてほぼなかったが、姉や元彼とのケンカではカッとなったり、ボロボロ泣いたりした。
どうしてあんなに怒りが湧いたり涙が溢れたりしたのか不思議だった。他の人とはそんなことにはならないのに。

ケンカをするほど仲がいいの意味がようやくわかった

そして、姉が家を出て、元彼と別れた後になって気づいた。
あぁ、そうだ。本当のことだったからだ。
あぁ、そうだ。私のことをちゃんと考えてくれてるからだ。
だからこんなに感情的になるんだ。
だからこんなに心に刺さるんだ。
ケンカをして気づくことがあるんだなと実感した。

ケンカを勝手に負のイメージと結び付け、避けた方がいいもの、ケンカをしないことが相手想いの優しい考えと思いこんでいた。
でもそれは真の優しさではなかった。

ケンカをするほど仲がいいの意味がようやくわかった。
ちゃんと向き合えるってこと。
だから私は、これからケンカできる人とはケンカしてもいい!ケンカは悪いことだと決めつけずに、大切な人と寄り添って、向き合って、時にはケンカしてもいい!と思えるように意見を正直にぶつけられるようになっていこうと心に決めた。