「就活、やめちゃったんだよね」と私が言うと、大半の友人は「今の時代、そういう選択肢もあるよね!」なんて、それらしい言葉で肯定してくれる。優しい世界だ。
でも、私は知っている。「就活をやめる」なんて選択は、皆が一番避けたい選択なんだと。私の選択に心を落ち着け、自分の選択をもう一度、正当化する事を。

これまでの私はちゃんと「成功」を味わってきたのに、就活では違った

私が就活を始めたのは、昨年の6月からである。今年7月に就活をやめたのだから、約1年間就活をしていた事になる。
昨年の6月。コロナの影響で、周囲に流されるまま、自分の想定より早めに始まった就活だった。初めての事への不安と同時に、自分なら楽しめるかも、という密かな期待があった。

それもそのはず、これまでの私は、ちゃんと「成功」を味わっている。都内の有名私立大学に現役で在籍。国際系団体と、体育系サークルの2つを兼任し、リーダーとして活動。
同時にアルバイトを4年間勤続。インスタのフォロワーはリア垢で800人以上、それなりに気の知れる友人も多い。
ここまで来るのに、それなりの努力も挫折もしてきた。自分の多くを偽る必要もなければ、面接のネタに困る事もない。

大丈夫。今までもこれからも私は「成功」のレールから外れる事はない。そこそこの企業に入って、今まで通り頑張って、稼いで、働きながら少しずつ趣味を謳歌して……。
結果、内定0。52社全落ち。エントリー数は、60を超えた辺りで数えるのを止めた。

私は今まで、「成功」を味わうと同時に強烈な胃もたれを感じていた

「何が正解なの」
「私の何処が悪かったのかな」
テンプレの様な自虐を、お祈りメールの度に繰り返した。
「どうやったら成功出来る?」。就活をしている間に、自分の中の違和感に気づいてしまった。いや、本当は随分前から気づいていた。見て見ぬフリをしていただけだ。

「成功」を味わうと同時に、私はいつも強烈な胃もたれを感じていたのだ。「成功」なんていうのは、あくまで自分が決めるモノであって、決して他人と比較して見えるモノではないのだと。目に見えるモノはその人のほんの少しで、大事なモノは決して目に見えない事を。
私の22年間は、世間や親、友人といった周囲の「目」だけから構成されていた。「失敗」のない、常に安全圏での挑戦と挫折。数字にしかならない、ゼリーの上澄みみたいな人間関係。

そんな自分のキャリアが、誰よりも、目の前の人事よりも、「私が」一番許せなかった。まさか、就活をしながら気付いてしまうなんて。
でも、そんな私を認めたくない。認めたら、仮にも努力した過去が、全部無駄になる様な気がして。

皆が一区切りを迎える今年の6月、私の体重は5kg減っていた。何でも良いから、内定が欲しい。内定さえあれば「成功」なはず。たとえ一時的だとしても、転職でもすれば良いだろう。 1社ぐらい、あと少しで、受かるはず。なにより、「成功」すれば、こんな自分を認めなくて済むから。  
7月までの1ヶ月間。たどり着いたのは、内定、ではなく、実家のマンションのベランダだった。ギュッと敷き詰められた住宅と真っ黒な道路、それなりに通るオモチャみたいな車やトラックを見下げて、近くの小学校から聞こえる甲高い声にイライラする自分を、鼻で笑うわけでもなく、ワクワクするだったはずの夏を教える、生暖かい風を素足に感じて、初夏の真っ青な空を近くに、ただひたすら、涙を流した。
そして、フェードアウトする様に、私は就活をやめた。

就活をしていた昨年の自分より、よっぽど「今の自分」の方が好き

私を含め、いわゆる就活に「失敗」した人には色んなパターンがあると思う。
自ら行動した事がない上に、虚栄が上手く張れず、自己肯定感の低さと共に結果が低迷するタイプ、とか。今まで挫折という挫折を感じた事がなく、突然自分を振り返ってみて動けなくなるタイプ、とか。
「失敗」だなんて一括りにするには、随分多様性に溢れてると思うんだけど。
私はどの「失敗」だろうか? 自分で真面目に生きる事を選択したくせに、枠から外れて自分軸で生きる人ばかり尊敬しちゃう、理想だけ無駄に高いタイプ? 完璧主義で、本当の自分でありたいくせに、自分が一番本当の自分を認められない、自ら今を生きづらくしてるタイプ?

今、読んでくれている貴方は私をどんな「」に当て嵌めるのだろうか。正直、今の私には「失敗」とか「成功」とか、枠組みは何でも良いのだ。「NNT」だとか「就活浪人」だとか、そういう目に見える分かりやすい名前も。全部私とも言えるし、全部私じゃないとも言える。
全部、私次第で変えれるって、「認めた」から。勿論、真っ直ぐ受け止められてるわけじゃない。そんな綺麗な、話ではない。今、就活をしている後輩と話すのは気まずいし。なんなら身内は私の進路、反対してるし。それで落ち込む事も山ほどある。
ただ、皮肉な事に、就活をしていた昨年の自分より、よっぽど今の自分の方が好きである。
あぁ、私は「失敗」しているのだけど、今は例のベランダで、笑って青空を仰ぐことが出来るのだ。