私が人生で心がけていることは、幸せでいること、ただ1つです。そのただ1つのことが、復讐を成し遂げるために最も効果的で近道だからです。
復讐とは一体誰に向けてのものかと言いますと、それは全ての人に向けたものです。1人1人のことを詳しくお話すると、太陽が何回昇り沈んでもキリがありませんので控えますが、私を馬鹿にした人、傷つけた人、不快な思いをさせた人、全てです。何年も前のこともありますが、ついさっきのこともあります。

私を傷つけた人達への思いを胸の奥にしまうことで、生きる糧になる

ふとした時に思い出すものはそれらの中から数個ですが、積もり積もった数百個、これらも確かに並べて置いてあります。
「私、あなたのせいで傷ついた」。そう伝えるのは案外、難しくはありません。眉間にシワを寄せ、何を言われても笑わず目も合わせず、ただ静かにしていれば、大体の人には伝わるでしょう。
ですが、私はそういった方法をとることは、決して多くはありません。なぜなら、外に出さずに胸の奥にしまっておくことで、生きる糧になるからです。あの時のお前達を見返すために、今日を生きているからです。

さて、復讐といいますと、「そんなことは意味がないから止めなさい」と暖かくのんびりと育ってきた人が出てきます。その復讐というものが、相手に嫌がらせをするなど直接攻撃をするものだとしたら、それは意味がないことなのでしょう。その場だけのものだからです。
四六時中張り付いて、寿命が来るまで攻撃をし続けることなどできません。一瞬何かしたからといって、そういう相手は全く気にしない(気付かない)ような人ですし、痛くも痒くもないのです。空振りになる可能性が高いです。馬鹿馬鹿しいことこの上ないので、1秒も時間を割くべきではありません。
ただ、忘れてあげる必要はありません。自分を軸とした復讐に変えましょう。

「許す」という言葉は私が言わない限り、部外者が口に出してはいけない

「いつまでも気にしていても仕方がないよ、許すことも必要」と宣う人も出てきます。可笑しな話です。被害者が寛大な心を持ち、理不尽を受け入れることを強いられるのは、どうしてでしょうか。
「許す」という言葉は私の中から湧き出てこない限り、部外者が口に出してはいけません。まぁ、私の中からその言葉が出てくることなど絶対にありませんが。
「悪気はないから」。この言葉もよく聞きます。愉快愉快。笑ってしまいます。悪気がないから何だというのでしょう。
お前に悪気があるかどうかなんて、私には関係のないこと。何をしたか、なのです。悪気がないから私の気持ちを考えなくてもいいなんて、何を勘違いしているのでしょうか?

ところで、じゃあ私のいう「幸せ」とは、一体何かといいますと、細かい決まりごとはありません。単純に楽しく毎日を過ごせているかということです。
何も複雑なことではございません。夜に眠り、明日が来るのが怖くなく、朝が来て、1番最初に絶望が訪れないこと。
そして、軽やかなステップで毎秒を迎えるのです。これは複雑ではありませんが、簡単ではありません。

私を傷つけた人達を許さない。許さないから、最高に楽しく生きていく

勿論、私が幸せにならないようにと邪魔をしてくるものも現れてきます。それらのものを、意外にも、私は嫌ってはいません。
私の人生を豊かにするための肥料にしかならないと知っているからです。偉そうな顔をしてふんぞり返って歩いてきたとしても、所詮は糞や尿なのです。「あ、お疲れ様です、糞や尿」と挨拶ぐらいはして差し上げても構いません。

私はずっと思っています。お前達を許さない。
許さないから、最高に楽しく生きていく。恐らくお前達には、到底出来ないであろうことだから。
この「許さない」の炎は、私の身体が息耐えようとも、魂が朽ち果てようとも、この世から消えて失くなることはないのです。これは私の執着なのであります。
私が人生で心がけていることは、幸せでいること、ただ1つです。