約10年前の私へ
君は10歳だったね。
まだ世界に愛されてるって、何をやっても許されるって信じきってた頃だ。君の顔は自信に満ち溢れてた。
それでも辛いことは訪れたね。それは徒競走のときのことだ。
君はやってしまった。速く走れない子に「なぜ?速く走らないの?」と、さも当たり前のようにきいてしまった。
その日から雀ちゃんひどーい!とクラスの上位カーストの女の子に目をつけられてみんなから避けられるようになる。
私はその瞬間は本当にわからなくてただの質問だったのだけど、あとから酷いことをしてしまっまたことに気づいた。
気づいた頃にはもう遅くて、速く走れないあの子は悲劇のヒロインで、私はさながら魔女だった。
生きてるだけで価値がある。そう思わせてくれる人は必ずできる
その時君は知ったね。
世界は私の全てを許してくれるわけじゃないってこと。世界は私のことなんて愛してなんかないってこと。
辛かったね。苦しかったね。その呪いは未だ解けず、いま現在を生きる私も苦しんでいるよ。こういうのを自己肯定感と言うらしいよ。それが低い人はメンタルに問題があるみたい。
君は常にこう思ってたよね。
「今日こそ死ななきゃ」
みんな私の事、いらないって言うの。みんな私の事、いないみたいに扱うの。だったらもう死んじゃった方が世のため人のためなんじゃないかって思うようになるね。
ちがう。ちがうんだよ。君は生きてていい。君は生きてるだけで価値がある。そう思わせてくれる人が、気づけば周りに、すこしだけどできるようになるから。
君は病んだ心のまま中学校をやり過ごし、高校に上がりさらにいじめにあい、もう限界と担任の先生に「退学届けください」って言うことになるね。
告げたときの担任の顔。凄く驚いていた。あの時担任が別の人で無表情で紙切れ1枚渡してくる人だったらどうだろう。私は今エッセイなんて書いてないんじゃないか。
その担任の先生。何度も面談してくれて、最後私がこの高校続けますと言った時は「子供がいたらこんな感じなのかな」と泣いてくれたね。
大学時代は少しの友達もできた。何不自由なく暮らしていたけれど
君はよく同年代に嫌われてしまう。持病の発達障害が原因かもしれない。
それでも生きてかなきゃいけない。お金を稼いで生活しなければ野垂れ死んでしまう。
大学時代は嘘みたいに穏やかだったね。誰かに虐められるわけでもなく、少しの友達もできて何不自由なく暮らしていた。
それでも君は孤独へ走っていくんだね。
事件は頼まれてもないのに起こる。大学2年生に上がる時、友達だった子たちとユニットが違ってしまって取る授業も別々になった。またひとりぼっちになってしまった。私は友達作りに躍起になった。
まず学内サークルを見て回ってインカレサークル(他大学生もいる)も視野に入れた。
もう独りは、いなくなるのは、いやだ!
その一心で半ば半狂乱で友達というものを追い求めた。
そこで私は演劇サークルに入ることになる。なぜ演劇かといえば、そのとき2.5次元ミュージカルというものが流行っていて、例に漏れず私もハマっていたからだ。
サークルに入れば友達できるはず。
甘かった。
私はまた上手く馴染めず、ぽつねんとしてしまった。私って孤独に追いやられるように出来てるんだなぁとぼやーっとおもった。
私以外がみんな楽しそうにしていた。
憎らしがった。羨ましかった。
欠点が好きだと言ってくれる人が、どこに行っても必ずいる
そこに1人の同期が現れる。
「雀の演劇、しようよ」
そう言って、その子は私の手を引いてくれた。空っぽだった手が温かくなった。
君はね、嫌われやすい。もうそういう人生なんだ。だけどね。君のその欠点が好きだと言ってくれる人がどこに行っても必ずいる。
君は言った。世界は私のことなんて愛してなんかないって。
確かに99%そうなのかもしれない。でも1%の優しい人のことを忘れないで欲しい。君が本当にいなくなったら、悲しむ人が必ずいること忘れないで欲しい。
つらつらと書いてしまったけど、君に言いたい言葉はただ1つ。「大丈夫」ってこと。