私が面と向かって告白されたのは、人生で一度だけ。小学校2年生のときだった。
当時の私は恋より、おしゃれより、遊びと漫画に夢中な子どもだった。声は大きくてがさつだけれど、外交的ではない。そんな性格だから、転校先でも人と付き合うことが上手くできない。獣のようだった。
「ちょっと、待って」。放課後、彼は私の服の裾を引いて呼び止めた
何が彼のツボにはまったのかは今でもわからない。
彼は転校先のクラスメイトで、短髪が似合う、クラスの中心にいるような活発な子だった。物怖じしない性格で、私にもよく話しかけてくれた。私はすぐに彼に好感を持った。
けれど、それは友達としてで、恋という色を纏うものではなかった。
それは9月のことだった。その頃になってようやく私はクラス内に自分の立ち位置を見つけ、仲のいい友達ができた。
ある日の放課後。ランドセルを背負ったクラスメイトに紛れて教室を出ようとした私は、彼に服の裾を引かれた。
「ちょっと、待って」
「何?」
きっとそのときの私は非常に不機嫌そうな声が出ていたに違いない。
私の通っていた小学校では集団下校が行われており、授業が終わったら広場に集められ、家の近い者で構成された班ごとに帰るようになっていた。班員が全員集まらないと帰ることはできない。だから、生徒たちは遅れないようにと、急いで教室を後にする。
遅れれば迷惑をかけるし、悪目立ちする。私も例に漏れず集合場所に向かおうとしていた。
私に睨まれた彼は、一瞬ひるんだようだったけれど、すぐに私に向き直った。
ランドセルから取り出した手紙を見て、私は自分が告白されたことを実感した
教室には私と彼しかいなかった。風が吹き、一階に集合している同級生達の騒ぐ声がよく聞こえた。
どうしたの?早く行こうよ。
そう言おうとした私の言葉は、彼の声によってかき消された。
「 」
彼が何と言ったかは、今となっては定かではない。ただ彼の好意と、手紙を貰ったことは覚えている。
一旦返事は保留にして、その日は帰宅した。突然のことだったのと、それよりも下校班の皆を待たせたくなかったためである。
家に帰って、ランドセルから取り出した手紙を見たとき、私は自らが告白されたのだと実感した。そして、いつになく浮かれていることに気づいた。
なにせ人生初の告白だ。恋愛にこれっぽっちも縁がない人間でも、告白のこの字くらいは知っている。
言葉としては知っていたけれど、親や祖父母以外の、身内ではない人間から好意を告げられる。それがこんなに嬉しいこととは思ってもみなかった。
封筒の中には手紙と、黄緑と紫色の消しゴムが入っていた。
あれから十年以上の月日が経ち、手紙はどこかへ行ってしまったけれど、八歳の男の子が精いっぱい丁寧に書いた告白の文章が並んでいた。
それを見て、私の頬は緩んだ。
家族、クラスメイト、友達とは違う、交友関係に一歩踏み出すのが怖かった
後日、私は彼を呼び出して振った。
「ごめんなさい。付き合えない」
そう言った私に彼は、
「そう、これからも友達としてよろしくね」
と言った。
彼はどこまでも私より早熟だった。
非常に彼には申し訳ないが、彼には瑕疵(かし)は全くない。
彼に告白されて嬉しかったのは事実。貰った手紙を大事に保管したことも。
ただ、私は付き合うという所まで気持ちが持っていけなかった。
二十歳にでもなってみれば「小学生が何をませたことを」と思うのだが、当時の私はかなり真剣に悩んだ。その結果、私は誰かと付き合うということに対して非常に後ろ向きだということに気づいた。
家族、クラスメイト、友達とは違う、交友関係に一歩踏み出すのが怖かった。
それから、彼とも、誰とも何もなく、同じ中学校に進学して、高校で離ればなれになった。今、どうしているのかは知らない。
私は二十歳になった今も、誰とも付き合ったことはない。最近ようやく恋人が欲しいと思うようになり、あのときの私はなんと勿体ないことを、と思ったりもするが、しょうがない。あのときの私は恋愛に乗り気ではなかったのだから。
この年にもなると、学歴、収入、顔、将来性など色々な観点で対象をジャッジし、ふるいにかけ、かけられる。そして、社会の目を気にして恋愛をするようになる。
そのようなしがらみを気にしないで、自由に思いを告げ、告げられた。あの経験は貴重なものだった。
学歴や頭の良さといったフィルターを持っている私には、もう戻ってこないものである。