今年の春、結婚をした。相手はマッチングアプリで出会った、共通の趣味を持つ人だ。
交際期間は約1年。出会いから結婚までの道のりは難なく、ごく自然な流れで至ったことだった。
好きな人と結婚できて幸せだけど、新しい環境での生活には苦しさも…
当時、私が住んでいた町に比べ、夫の住む町は車がなければどこへ行くにもアクセス不十分な土地であったし、職業柄そこを離れることは不可能だったので、結婚が決まると同時に、私は田舎生活が余儀なくされた。転居後、当時の職場へ通うには電車で片道2時間超えという通勤になるため、長年勤めていた会社を退職することも決まった。
まずは運転免許の取得、そうしたら新しい仕事を探して……そんな計画を立てることからすべては始まった。そして、実際に免許を取得して、始まる求職活動。免許を取得したからといって、すぐに車が手に入る訳でもなく、就業場所を選びながら、業種を選びながらの活動はそう簡単なものではなかったと、今感じている。
毎日、PCと向き合って求人情報にアンテナを張る。ハローワークの職業相談へ行く。夫を見送り掃除洗濯、夕飯を作り、また夫の帰りを迎える。
文字で起こせばごく普通の生活だが、今までフルタイムで勤務していたせいか、この平坦な時間にストレスを感じていた。
いよいよ精神的に追い詰められ、これでは「結婚=幸せ」が成り立たない!そんなことまで考え始める。
好きな人と結婚できたことは間違いなく幸せなことであり、穏やかな暮らしが存在することに感謝をしている。だけど、自分が何者でもない状況が続くことは、自分の首をきりきりと絞めているような苦しさを覚える。
結婚できた、良かった。と浮かれたのは婚姻届けを出した当日だけ
そう年齢の変わらない義姉夫婦やいとこ夫婦には幼い子供がおり、義実家で子どもたちの話題が出ると、「子はまだか」と遠回しに言われているような気がしてならない。
(これはあくまで気なのだが)自分としても定職を持ち、もう少しこの土地での生活に根付かないとどうしても親になりたい、という気持ちが湧き上がらず、子どもにまつわる話が億劫になっているのも事実である。
「結婚はゴール」そんな言葉を耳にすることがあり、実際に結婚を控え退職した際は、同年代の女性社員に羨ましがられたものだ。当事者である私は、現実味を帯びないまま退職をし、自分の部屋の荷物をせっせと段ボールに詰め込み、結婚指輪の契約をし、気が付いたら今の暮らしに至っていた。
結婚できた、あぁ良かった。婚姻届けを提出した当日以外は、そう浮かれることもなく、次なる課題が波のように押し寄せてくることになる。
結婚をしたから無敵じゃない。幸せは自分が作り出していくものだ
現在、無職の子なし主婦として思うことは、就職していてもしていなくても、結婚していてもしていなくても、何かと課題があるということ。結婚したから無敵!そんなことはない。
どこにいても自分で道を開拓しなければ、現状を打開することができないのだと。幸せは自分が作り出していくもの、自己満足で、自分の物差しで幸せを決められたらそれが幸せ。女性にとって「結婚がすべての幸せ」、そのような時代でもないのだ。幸せになるための通過点の上、選択として「結婚」があるということを、身をもって実感した。