今年の四月。中学生から就きたかった仕事の内定を得て大学院を卒業し、実家から飛行機で二時間かかる新天地で初めての一人暮らし。
まっさきに私がしたことは四年付き合った彼氏のSNSのブロックだった。
理想の人生設計を語る彼は楽しそう。だけど私は違和感を拭えなくて…
私も彼も大学受験で一年浪人したから当時25歳。周りには未婚の人も多いけれど、大学の先輩たちは続々と結婚しはじめ、中学の同級生では既に親になっている人も少なくない。お互いの就活が終わってしまえば、当然のように結婚を含めた将来のことについて話す機会が増えていった。
彼は子供好きな人だったから、「子供は二人くらいほしい」と言っていた。まだ存在もしていない子供について、「こんな名前がいいよね」と私に同意を求めてくることもあった。
研究が好きな人で、いずれは海外の大きな企業で研究してみたいと口癖のように言っていた。
元気な子供たちに囲まれ、自分のしたい仕事をして暮らすという理想の人生設計を語る彼は、とても楽しそうだった。
けれど私はどうしても違和感が拭えなかった。
だって、もし私と彼が結婚するのであれば、彼の言う「子供が二人ほしい」は「子供を二人産んでほしい」という意味だ。彼は子供を産めないのだから。これだけ医療が発達した現代においても女性にとって出産は命がけで、たとえ無事だったとしても身体に負担はかかることは間違いない。出産の前後で仕事には穴が開くし、それを二回繰り返さなくてはならない。
産んだ後は育児だってある。しかも二人分だ。少なくとも朝から晩まで好きなだけ仕事を、なんて生活はできないだろう。
海外で働きたいという話だってそうだ。私はずっと就きたかった仕事に就いた。国内の会社で。彼もそのことは知っていたはずだ。内定を得て大喜びしている私に何度も「おめでとう」と言ってくれたのだから。では、なぜ私がその会社をやめて海外に行くことになっているのだろう?
彼は私の人生を好き勝手に描きかえるため、結婚を口実に使った
考えれば考えるほど、漠然としたモヤのような不満が胸の中に溜まっていった。
好きなことについて話している彼の姿を好ましいと思うし、好ましい相手とずっと一緒にいることのできる結婚は私にとって魅力的だ。そのはずなのに、どうしても違和感が拭えない。
なぜ私の人生設計まで彼が勝手に描いているのだろう。
自分で産みもしない子供の人数について勝手に決め、子供が欲しいという割に子育てについては一切話さず、海外に行くと言えば私が仕事をやめてついてくると思いこんでいる彼が、なんだか別の生物のように思えた。
「結婚なんて絶対にしたくない」と心に決めたわけではない。ただ、どうしようもなく気持ちが悪くなった。
彼のことを嫌いになったわけではない。好きな相手が私の人生を好き勝手に描きかえるための口実として結婚を使おうとしたことが耐えられなかっただけだ。
彼のSNSを片っ端からブロックし、連絡先を消し、住所すら教えずに越してきたこの新天地は、とても快適だ。仕事も覚えることばかりで大変だけれど、やりたい仕事ができているという実感と、なりたい自分に近づけているという期待感で幸せだと感じることができる。
理想の結婚を諦めないからこそ、自分の習慣は自分で作りあげていく
職場の既婚率は極めて高く、同期と「この職場でずっと独身でいるのは肩身が狭そうだ」なんて話もする。肩身が狭くなったら、周りの同期が全員母親になったら私は後悔するのだろうか?ありえない話ではない。もしかすると将来の私は「あの時、妙なことを考えずに結婚しておけばよかった」と今の私を恨むのかもしれない。それはとても辛いことだ。
ところで、かつてイギリスのメレディスという作家の「40歳を過ぎると、自分の習慣と結婚してしまうのだ」という名言を聞いたことがある。
よかった。結婚自体はできるらしい。将来の自分に朗報だ。
これから先の人生にいい相手との出会いはあるのかもしれないし、ないのかもしれない。もし出会ったとしても、私はその相手に「自分のために生きてほしい」なんて言いたくない。
けれど自分の習慣は自分で自由自在に作りあげることができる。だから私は毎日、掃除機をかけて丁寧に料理を作り、常に家に切り花を飾って、一日30分の読書を行うようにしている。
私はまだ理想の結婚をあきらめていない。