世の女性の結婚願望はいつ生まれるのだろうか?ずっと疑問に思ってきたことである。
私の結婚願望はめちゃくちゃ薄い。「結婚」に対して夢や希望を抱いたことがない。両親はとても仲がいいし、温かい家庭で大きな不自由なく生まれ育った。それでも、「誰か」と「結婚」がしたいとは一度も思ったことがなかった。
「婚活しようかな」 彼氏がいる友人のぼやきに衝撃
そんな折、付き合って数年の彼氏と毎日互いの家を行き来している同期が「そろそろ婚活しようかなあ」とぼやいた。衝撃だった。てっきりその彼氏と結婚する気があるから付き合い続けているんだと思っていたからだ。その時気がついた。あ、「好きな人」と「結婚」するものじゃなくて「結婚」は「誰か」とするものなんだと。
私には恋愛感情がない。いわゆるアセクシャルというセクシャリティなのだが、愛情を持つことはあっても恋をしないのである。
恋愛的な「好きな人」として恋をした人間は一人もいない。ああ、だから結婚願望が薄いのか。そもそも「好きな人」がいない私が「結婚は好きな人とするもの」として捉えていたから、無意識のうちに自分には縁遠いものであると思ってしまっていたようである。齢27。とにかく衝撃だった。
言い方を悪くすると、両者が異性で定められた年齢を越えていれば法的には「誰とでも」「結婚」はできるのである。
結婚が指すものって? トランス女性との日々も私にとっては
そもそも「結婚」は何を指しているのだ?法的制度なのだろうか?
令和になる一年前、私は長年付き合っていたトランスジェンダーの女性にプロポーズされ、婚約指輪と結婚指輪を作った。(そして破局したのだが、もしもそのままウェディングフォトを撮ったり関係が続いていれば)私にとってそれは立派な「結婚」だった。
「(当時の)好きな人」との「結婚」は私が定義していたものと何も違わなかったからだ。けれど、法的に見たらそれは「結婚」とはいえないのも事実である。
法的な婚姻制度がなかったら、どのような状態を「結婚」というのだろう。
「結婚」は一人ではできない。パートナーが必要だ。もしかすると人々が求めているのは「誰かとの結婚」ではなく「自分に合った幸せな生活を営むためのパートナー」で、その延長線に「結婚」があるのかもしれない。自らの幸せな生活を送るために、婚姻届けの提出・未提出や別居、同性のパートナー、別姓など必要な物事が皆それぞれにあるのだろう。
一人でも大丈夫だから恋人を作った 未来が重なれば結婚も
当時の恋人とはお互い実家暮らしから同棲を始め、破局後相手が出ていき一人暮らしをすることになった。
当初は、一人暮らしなんて想定外であったし不安しかなかったが、慣れてみるとすごく快適である。その部屋の契約終了後、私は中古マンションを買って一人と猫一匹で暮らしている。もう自分一人で幸せに生きていける。一人でも大丈夫だとわかったから、新しいパートナー探しを始め、現在とても素敵な彼氏とお付き合いをしている。
壇蜜さんの
「ひとりで生きられないから結婚するのではなく、自分ひとりでも生きられる自信がついたから誰かと一緒にいられるようになった(引用:婦人公論)」
という言葉に私は深く共感し、同じように思う人がいるのだと嬉しくなった。
今お付き合いしている人と、この先婚姻届を提出するのかはわからない。一緒の家で暮らすことになるのかもわからない。
私の生活と、脊髄損傷で車椅子生活をしている彼の生活をすべて重ねることが本当に幸せなことなのかもわからない。それでも、今私自身がとても幸せな生活を送れていることは確かである。相手と同じ形の幸せが重なったとき、私にも「結婚」する未来が来るのかもしれない。