あのルールを破れたら、わたしはきっと幸せです。
ルールというより権利だけれど、あのルールを破れたら、私はやっと人並みの幸せを得ることができます。そう、私は夢見ているのです。
私には恋人がいます。愛しい愛しい恋人。もうお互いを好きになって5年になります。
お互いがお互いの事を好きでたまらなくて、私にはもったいないくらい素敵でいつも支えてくれます。

料理は苦手だけど彼女なりに手伝おうとしてくれて、皿洗いは彼女の担当です。私より背が低くて、不器用でたまにやらかしたりするけど、生きるのだけは私より器用で、仕事をしている姿が世界一かっこいい年上の彼女です。はい、彼女です。

恋人と一緒に住んでいる私は「遠い親戚とルームシェアしてる」と言う

私の恋人は女です。ご察しの通り私も、女です。気持ちが悪いと思いますか。
気持ちが悪いと思うなら、私たちのことが不快ならこのページをそっと閉じてください。それだけであなたは何も悪くないし、私たちもなにも傷つかない。それで終いです。

私たちは皆と同じように生きる為にいろんなことを隠して生きています。恋人と一緒に住んでいるけれど、職場や友人に説明するときは「恋人と一緒に住んでいる」なんて言いません。「遠い親戚とルームシェアしてるんです」と言います。「友人と一緒に住んでいる」なんて説明する日もあります。

世間体は私たちが思っているより、ずっとずっと冷たくて厳しいのです。好きな人と一緒に住む場所を決める、何もおかしくないはずなのに恋人関係であると明かしただけで断られることもありました。
私たちはただこの関係に(噓)をつきたくないだけなのに、偏見やルールはとても私たちを冷たい現実に引きずり落としてくれます。

結婚にこだわり続ける理由は、ごく当たり前の権利を手に入れるため

ある人は私に質問をしてきます。
「なぜそんなに結婚をすることにこだわり続けるの?」と。そう疑問を抱くのは仕方がないと思います。

私が結婚をこだわり続ける理由は3つ。
1つは好きな人の病院の付き添いや死に立ち会う権利が欲しいこと、1つは好きな人と同じ苗字を使える権利、そしてもう1つ、婚姻届けが受理され公的に婚姻関係となることで好きな人と家族としての社会保障が受けられる権利。

今の私たちでは婚姻届は受理されません。もし好きな人が倒れて救急車の乗せられて病院に運ばれても、特別な事情などを受理してもらえる病院でない限り、私たちは好きな人がどういう状態になっているのかを知る権利も、愛している人にどういった治療をしていくかという選択も、立ち会う権利もありません。

たまに「養子縁組ではだめなの?」と聞いてくれる方がいます。養子縁組とは簡単に言えば今の家族との家族関係を切って、恋人と親子関係になるということ。たしかに一緒に住めるし病院の付き添いも問題なくなりましたが、今まで育ててくれた親との親子関係としての権利補償が無くなってしまうことをはじめ、別の大きな壁もでてきます。

なぜ男女のカップルでは障害にならないことが、私たちには障害になってしまうのでしょうか。なぜ同じような権利を欲しただけで、こんなにもリスクを負わなければならないのでしょう。

人が誰かを好きになることに理由はいらない。だから、願い続ける

同性を好きであることが誰かに迷惑をかけたでしょうか。私が彼女を好きでいることが誰かの心を傷つけたでしょうか。私が彼女といることで飢饉が起きましたか。

いいえ、起きてません。人が誰かを好きでいる事に理由はいりません。
私がもしこの法律というルールを破ることができるなら、私の大好きなあの子と結婚して、一生一緒に暮らします。好きな人を好きでい続けられる権利を私はやっと獲得するのです。

私と大好きな彼女との子どもを産んで2人で愛情いっぱいに育てる事、お互いの親族に祝福されながら結婚式を挙げること。そしてみんなと笑顔いっぱいで写真を撮る事、お互いがウエディングドレスを着る事。どれも今は叶うことが難しい私の夢です。

きっと私が生きている間は難しいかもしれないけれど、いつかこれが破らなくても叶う夢になりますように。私は願い続けます。
いや叶うまでは死ねません。お互いがしわくちゃのおばあちゃんになっても、私たちは願います。ずっとずっと愛しているからです。
どうかこの夢が叶いますように。