上京して1年。やっと東京の生活に慣れてきた頃、それは、突然やってきた。
専門学生にとって就活は卒業制作に匹敵するといってもいい。今までの自分を見てもらう最高の機会。そして、新たな人生の幕開けなのだ。

2011年、東日本大震災。
帰宅途中に感じた、立っていられないほどの大きな揺れ。町中の電気が消え、凍える夜を過ごした。いつくるのかわからない余震に怯えた。
このまま死んでしまうのではないか。悪い考えが頭をよぎった。
翌日、電気が復旧し、テレビが点いた時、心から安堵した。テレビを見ている間だけは、恐怖を忘れられた。
テレビの力ってすごい。辛い思いをした人たちの心に、笑顔を届けたいと思った。

慣れない試験に戸惑い、周りに飲まれて苛立っても、憧れは消えない

初めての説明会は第一希望の会社。会社紹介VTRを見て、映像の美しさと迫力に圧倒された。
思わず涙が出た。やっぱりここがいい。心からそう思った。
初めてのエントリーシート作成、面接。わからないことばかりで、正直何が正解かわからなかった。
第一希望の会社は、最初の面接で落ちた。あっけなかった。応募人数は2000人超えていたと噂で聞いた。内心ほっとした。どこかで自分が選ばれないような気がしていたから。

第二希望の会社の募集まで時間がある。
もしダメだったら……という考えがよぎり、あらゆる制作会社の説明会に行った。採用側から声をかけていただいて、受けた会社もあった。
慣れないディスカッションやSPIに戸惑う日々。
大学生に飲まれ、何も出来ない自分に苛立った。明日が見えない不安から、毎日履歴書を書いた。書類審査が通った会社は、全て受けた。気がつけば、30社を超えていた。
面接に行くけば行くほど、自分のやりたい仕事の奥深さと難しさを思い知った。3社から内定をもらったが、憧れは消えなかった。

受かると思っていたのに、面接で声が震えて体が強張り、涙がこぼれた

第二希望の会社が、今年募集がないかもしれないと聞いたのは、それから2ヶ月後のことだった。
頭の中が真っ白になった。私はどこに向かえばいい?何をしたらいい?心ここにあらずの日々が続いた。友人やクラスメイトが、希望する会社に受かっていく。この中の誰よりも先に、進む道を決めていたのに。就活をしていたのに。どうして私だけが、取り残されているんだろう。
幸せそうな友人たちが憎かった。一緒に喜んであげられない自分の心の狭さに腹が立った。

しばらくして、第二希望の会社が応募を開始した。今までの努力が実を結んだようで、3次面接まで進んだ。
正直、調子に乗っていた。ここまで来たら受かるだろう。甘い考えだった。
面接で、この仕事をしたいと思った理由を聞かれ、答えた。しかし、東日本大震災を思い出すと、声が震え、体が強張った。一筋の涙がこぼれた。面接官に気を遣わせてしまった。
数日後、不採用の通知が届いた。

当然だと思った。面接で泣き出す人間を、誰が雇ってくれるのだろう。自己嫌悪に襲われた。無価値で必要のない人間なんだ。すべてを否定された気分だった。

突然訪れた二度目のチャンス。面接にはあのときの面接官がいた

卒業が迫ってきた年末。
就職先を決め倦ねていた。内定をもらった会社に返事を出さなければいけない。分かっていたけれど、ここで諦めたら、この先の人生で絶対後悔する。このままで終わりたくない。
先生から、もう一度受けてみない?と提案があったのは、すぐのことだった。第二希望だった会社に卒業生がいて、契約社員が数人欲しいと要望があったそうだ。

二度とないチャンス。ダメ元で受けてみよう。
二度と来れないと思っていた、会社の扉を開ける。
そこにいたのは、あのときの面接官だった。
私は、君を採用したかったんだよと言われた。また、泣きそうになった。今度は嬉し泣きだ。グッとこらえ、ありがとうございますとだけ言った。
その日のうちに、採用が決まった。意外にもあっさり。拍子抜けした。家族に報告を忘れるほどだった。

私は、夢への一歩を掴むことができた。一人では、何も成し遂げられなかった。関わってくれたすべての人に感謝を伝えたい。
長い闘いが終わったように見えたけれど、違う。
ここからが、始まりなんだ。闘いの火蓋が切って落とされた。