結婚、どう思う?
どう、と言われても、と結婚して数年経った今も思う。
結婚って、一体何なんだろう。

婚姻届は、私にとっては「契約書」のような感覚だった

私は、夫と手を繋いだことも、セックスをしたこともない。
部屋も寝室も食事も別々で夫の寝顔すら見たことがないし、同じ屋根の下に住んでいるのに、一週間近く顔を合わせないこともある。それでも私たちは役所に婚姻届けを提出し、ペアの結婚指輪をはめて「正式に」結婚をした夫婦だ。
そして今、私のお腹の中には新しい命が宿っている。

出会って一年と半年ほど経った頃、婚姻届ってこんなペラペラなんだ、と思いながら記入したのを今でも覚えている。こんな紙切れ一枚で、名前も、戸籍も、これからの生活もガラリと変わってしまうのかと思うと、なんだかあっけなかった。そして同時に、結婚って何だろうなぁと思った。
「おめでとうございます」と役所のおじさんが笑顔で言い、記念に写真を撮ってくれた。おめでたいことだという意識があまりなく、色んな人に祝福されることに、少し居心地の悪さを感じた。
そのペラペラの婚姻届は、私にとっては「契約書」のような感覚だったからだ。

温かくて楽しい家族を持ちたいと思い「友情結婚」をした

友情結婚、共生婚という言葉が世の中に広まって久しい。他人に縛られずに生活したいという願望、老後の心配、体裁など様々な理由があり、それらがだんだん珍しくなくなってきたと感じている。
私は数年前までは、結婚願望がほとんどなかった。一人で生きていくだけの仕事はあったし、一人が好きだったから、必要だとも思っていなかった。そしてセクシャルマイノリティであるが故に、恋愛結婚をすること自体が苦痛だと感じていた。
けれど、私は家族が大好きだった。いつか両親のように、温かくて楽しい家族を持ちたい、大好きな人たちが生きていた証を残していきたい、と思うようになった。周りの友人もどんどん結婚し、子どもを授かることには年齢的な限界が将来訪れると考えたときに、「友情結婚」に向けて動き出した。
人間的に尊敬できて、一緒にいても苦痛ではなく、生活のスタイルも似ている人。それが夫だった。

お腹に触れる、優しい夫の手。きっとこの人となら大丈夫

好きな人同士で結婚したはずなのに、すれ違いがおきることはある。家事の分担や出産育児の過程で相手を思いやれなかったり、離婚をしたり、事件にまで発展することもある。そういう事案を見るたびに、私は不思議でたまらないのだ。好き同士なのに、何故相手を思いやれないのだろう、と。
私たち夫婦には恋愛感情がない故に、相手に甘えない、という自立心が少し強いように思う。自分のことは自分でするし、してもらったら感謝の言葉を伝える。家事も完全に分担し、共有で使うものはお互いの財布から出し、「男だから」「女だから」という線引きは一切しないようにしている。他人同士であるが故のリスペクトと思いやりがそこにあり、恋愛結婚よりもよっぽどいい関係ではないか、と思うこともある。

色んな夫婦の形があり、結婚があり、その中には結婚をしないという選択肢もある。その年齢なら結婚していないと社会不適合者だとか、そういう考え自体が社会不適合だ。
珍しい結婚の形ではあったかもしれないけれど、私は自分の選択に後悔はしていない。セックスができない私たちは人工授精で子どもを授かったけれど、今お腹の中にいる新しい命は、紛れもなく私たちの子どもだ。手を繋いだことも、抱き締め合ったこともない私たちの間に生まれる子どもは、果たして幸せなのかと不安に思うこともある。けれど、絶対に幸せにしてみせると強く思う。
恐々と、そっと私の大きなお腹に触れた夫の手は優しくて、きっとこの人となら大丈夫だと思う。私もまた、一人ではないのだ。
そういう結婚も、悪くない。