「デコを出して髪を結びなさい」。母の言いつけを、10年以上守ってきた。途中で何度か破りかけたけれど、すぐに、母の好きな髪型に自ら戻すのが、私。
顎くらいまである私の前髪は、外出中は常に耳にかけられており、家ではオールバックだ。後ろ髪もお風呂に入る時と眠る時以外、ほとんどと言っていいほど一つに結んでいる。
常におでこを出し、首元もすっきりとさせた髪型は、今は慣れたものの、思春期の私は大嫌いだった。

母は昔から、私が前髪を短く切ることと髪を結ばないことを許さなかった

幼少期の私は髪が短く、俗にいうショートカットの女の子だった。しかし、幼稚園で他の女の子たちが、可愛いヘアアクセサリーをつけたり「ママにやってもらったの」と言って、三つ編みやポニーテールをしてくる姿が、羨ましくてたまらなかった。その度に、母にヘアアレンジをねだったが「自分でやりなさい」と言われるのがお決まりだった。気がつけば、幼稚園を卒業する頃には、短い自分の髪を、自ら三つ編みできるようになっていた。
そんな母が一度だけ、髪を可愛くアレンジしてくれた日のことは、今でも覚えている。
幼稚園開催の夏祭りの日、浴衣を着た私に、色とりどりのヘアピンをたくさんつけてくれた。母が、不器用ながらつけてくれたヘアピンは、ポロポロと落ちかかっていたが、とても嬉しかった。

小学生になった私は、髪を伸ばし始めた。毎日様々な髪型に挑戦できるのが楽しくて、みるみるうちにヘアアレンジの腕は上がっていった。母も、毎朝鏡の前でせっせと身支度する私を認めてくれていたと思う。幼いながらに、お団子や三つ編みを習得できたのは、きっと母が「お母さんはできないから、自分でできるようになりなさい」と言ってくれたおかげだ。
しかし唯一、母が許さなかった髪型がある。前髪を短く切ることと、髪を結ばないことだ。
成長するにつれて、前髪をまっすぐ切りそろえたり、サラサラと髪をなびかせたり、大人っぽい髪型に憧れたが、「視力が悪くなる」「肌荒れする」「印象が暗くなる」といった母の一言で、断念していた。

中学生になった私は前髪を切った。しかし、母は良い顔をしなかった

中学生の頃、一度だけ前髪を短く切りそろえるのを許してくれたことがあった。しかし、美容院から帰った私の姿を見て、母は良い顔をしなかった。
「目にかかってるんじゃない?」「家では前髪を留めなさい」……。
母の嫌がる顔は、見たくはなかった。すぐに、私の前髪は伸び、また一つに括る日々に戻った。

大学生になり、髪を染めるようになった。一人暮らしで、家でも外でも自由な髪型ができるようになった私は、また、前髪を短くしてみた。
眉上で切りそろえた前髪をヘアアイロンで巻き、軽く束を作る……。下ろした後ろ髪をくるりと内巻きにする……。風が吹くたびに、額や首を撫でる髪がくすぐったく、デコを出して後ろ髪もきっちりまとめる髪型と真逆のヘアアレンジは、全てが新鮮だった。
それでも、憧れ続けた髪型は長く続けられなかった。1ヶ月もすれば、実家にいた頃と同じ髪型に戻っているのだ。
出かける直前、綺麗にセットした髪を鏡で確認している時、自分がとても滑稽に見えてくるのだ。まるで、自分が自分じゃないのではないかと不安になるのだ。
しかし、前髪を両手でめくり、自分のオデコを見た途端安心するのだ。そして、時間をかけて丁寧に巻いた後ろ髪をゴムでまとめるだけで「ああ、これが私だ」と安心する。

自分が一番自信を持てるのは、オデコを出して一つに結んでいる髪型

母に反発してまでやりたかった髪型なのに、気がつけば前髪をピンで留め、可愛くカラーリングしてもらった髪も、一つにくくっている。「憧れを叶えて、また元に戻る」というのを、何度も繰り返すようになった。

社会人になった今、仕事に行く時も遊びに行く時も髪を一つにくくっている。長い前髪も常に耳にかけている。自分が一番自信を持てるのは、その髪型だと思うようにもなった。
この行為が、自分が好きでやっていることなのか、母の好みに執着しているのか、はたまた反発なのか、正直私にはわからない。私の髪型に対して、なぜあんなに厳しかったのか、母の本心もわからない。ただ一つ言えるのは、髪をセットするたびに、母が見たらどんな反応をするのかを考えるということだ。