昔々、日本には「女の幸せは結婚」と言われていた時代があったらしい。
これを伝承した奴らは「結婚をすれば幸せが確約されている」とでも思っていたのだろうか?勘違いも甚だしい(笑)。

今この瞬間、結婚をしたいか?と質問をされたら、私は即座に「NO」と答えるだろう。
ちゃんと理由はある。たとえ24年しか生きていなかろうと、充分すぎる動機が蓄積されているのだ。

プリンセスと王子様に両親を重ね、結婚したくて仕方がなかった

幼い頃、お伽噺が好きだった。特にプリンセスが王子様と幸せになる系のお話。
夢みがちな私は、そのラブストーリーを仲の良い父と母に重ねて、嬉しく、羨ましく、誇りに思っていた。
友達には「あっちゃんの家は、パパもママも仲が良くていいね」なんて言われて、それが何ともくすぐったかった。
そうだよ!うちの家族はみんな仲良しなんだよ!と、その度に自慢したくなるのだが、当時の友達はシングルマザーの家庭が多く、とても口にはできなかった。
毎回、ひっそりと、あまり喜び過ぎずに「えー、そうかなあ?」と返していた記憶がある。

幼少期は家庭環境が優しい空気に包まれていて、その影響か、はやく結婚して子どもを産みたくて仕方がなかった。
「子どもは親の背中を見て育つ」とはよく言ったもので、夫婦というものに非常に憧れていた。特に優しくて可愛らしい母が大好きだった。
そうして中学卒業まで、夢みがちな部分は誰にも否定されずに、何不自由なく平和に過ごしていた。

離婚し追い詰められる母。「素敵なお母さんになる夢」は焦げていく

高校生になった。地獄はそこからだった。
まず、親が離婚。段々と家庭の空気が変わるのは肌で感じていたが、その事実を受け止めるのにはやはり覚悟が必要だった。何より大好きな母を傷つけた父が大嫌いになり、同時に永遠の愛が存在しないことを知った。
そして、綺麗な一軒家と飼っていた犬にお別れをして、古いアパートへ移り住むこととなった。
私たちの部屋の隣には中年夫婦が住んでいたのだが、私たち母娘3人暮らしを煙たがり、窓から覗いたりピンポンダッシュをしたりなど、頻繁に嫌がらせをしてきた。
ある日、彼らに玄関周りでネズミ花火を焚かれ、それによって精神的に母が追い詰められている様を見て、「こんなクズな夫婦も存在するんだ。自分は結婚なんかしない。母は私が守らなくては」と強く誓った。

結婚をしても幸せにはなれない。家も犬も奪われる。子どもは最優先事項。嫌なことがあっても当たらず、ニコニコといなくてはならないなんて……。
もし子どもが生まれたとしても、母のように我が子を愛せる自信がなかった。
こうして3年ほどかけて、じっくりと「素敵なお母さんになる夢」はどす黒く焦げていったのだった。

本音は……あの頃のように「結婚したい」と思えるようになりたい

これだけ言ってきたが、私だって「結婚」というものがどんなに素敵なものなのか、理解しているつもりだ。
どんなに気分が落ちていたとしても、全ての赤ちゃんは可愛いし、(人生経験の少ない私が言うのも失礼だが)ベランダで洗濯物を干す奥さんを見れば、愛おしくて泣きそうになる。もちろん、夕飯の買い出しをする旦那さんだってそうだ。

羨ましいのは変わらないのだ。憧れるのには変わりないのだ。
しかし、どうしようもない壁にぶつかってしまった時、自分は立ち直れるのか?他者を傷つけてしまわないだろうか?
投げ出したくなっても、子どもがいれば強制終了はできない人生。
母は結婚こそしたけれど、はたして幸せだったのだろうか?
あれからすぐ母は他界したので、もう答えは聞けない。

拗らせているのは重々承知だが、要は全ての人に幸せでいてほしい。そして不幸にする要因が結婚にあるなら、私はしたくないというだけである。

本音は……あの頃のように「結婚したい」と思えるようになりたい。
いつかこのエッセイを見返した時の為に、素直な気持ちをここに記しておこう。幸せでも、そうでなくても、変化を望む心のエネルギーにしたい。