私の人生における、現状最初で最後の恋が終わってから、私は完全に“拗らせて”しまった。

原因は、私の身体にある。ちょっと、いやかなり生々しい話だから、拗らせた理由は誰にも言えない。でも、誰かに聞いて欲しくて、文章にすることを決めた。

痛いし、苦しいし、疲れるし…私は「体の関係」が苦手でできなかった

当時の彼氏と初めてお泊まりデートをした時から、セックスが苦手だった。というか、できなかった。痛いし、苦しいし、疲れるし。何回も試行錯誤して、その度に失敗した。

でも、いつかはできるようになりたかったし、幸せなセックスを夢見ていた。麻酔を塗ることはできないか真剣に調べたこともあるし、お酒を飲んで酔っ払えば痛くないかと思ったら寝落ちして、彼を怒らせたこともある。

自分から誘うこともよくあったから、彼の友達に性欲の強い女だと思われていたっぽいけれど、単純にできるようになりたくて必死だっただけだ。

そして、最初に試した時から1年以上かけて、やっと上手くいった。場所も覚えていない、どこかのラブホテルだ。彼氏の家だとか、旅先のリゾートだとか、思春期に思い描いていた甘い初体験ではなかったけれど、ここから取り返せばいいやなんて思っていた。

でも、取り返せなかった。何回やっても、入りはするが毎回ものすごく痛む。元々痛みに強い方ではないので、露骨に痛い顔をして彼を困らせた。少女漫画で見た、痛みに耐えて気持ちいいフリをするような健気な女の子にはなれなかった。頭の中で、「早く終われ」と唱えていた。

「性行為ができないのはダメだ」と神様に言われている気がした

人並みに性的なことには興味を抱いていたから、セックスとはどんなに素敵で気持ち良くて幸せなことなんだろうと思っていた。まさか、上手くできないなんて考えたこともなかった。処女を失うまでも焦っていたが、それ以降どんどん焦燥感が強くなっていった。

一方で、痛くて辛い思い出ばかりが積み重なって、今度は彼に求められても断ることが増えた。人として、というかそれ以前に、哺乳類としてダメだと神様に言われた気分だった。

そんな日々を繰り返して、彼に言われた「拒絶されてる気がする」と。それが直接の引き金になったわけではないけれど、だんだん上手くいかなくなって、私たちはお別れした。

別れてから何年か経つが、それ以降セックスが出来たことはない。今思えば、非常にお相手に失礼なことだが、できるだけチャラそうな人と付き合おうと画策してみたり、いわゆるヤリモク(セックスを目的に出会いを探している人)が多いといわれていたマッチングアプリをダウンロードしてみたこともある。

でも、どうしてもお付き合いに前向きになれなかったり、やっぱりなんか違うなと思ったり、何か事件に巻き込まれたらどうしようと考えると、実際に会うことを躊躇したりして踏みとどまった。

肉体関係を持つことができないのは、マイノリティなのだと感じる

年々恋愛に臆病になっていっている気がする。男性と出会って、付き合えたとして、どのタイミングで伝えればいいのだろうか。最初は優しくしてくれるかもしれないけれど、回数を重ねるごとに面倒に思うようになるんだろう。というか、面倒に思わせてしまうこと自体が申し訳ない。

最近は、ラブストーリーに触れるのも嫌になってきた。セックスの描写がとても不自然に見えるからだ。万が一、このヒロインが私だったら、こんなに幸せな朝を迎えられるわけがない。好きな人と触れ合うことが、私にはどうしても難しい。

この世で私ひとりだとは言わないが、恋人とセックスをすることそれ自体が自然にできないのは、圧倒的マイノリティなのだと感じる。

この歳になると、結婚する友人も増えてきた。素直におめでたいし、憧れるし、見ている私も幸せになる。家族になりたいと思える人と出会うことは、さぞかし素敵なのだろう。ところが、調べたところによると、セックスレスは正当な離婚事由になるらしい。結婚。今のところ私には縁遠い言葉だ。

おそらく、定義の上では私は処女ではない。だから、生理不順の治療のために訪れた婦人科で、有無を言わさず内診されて声にならない悲鳴を上げる。子宮頸がん検診をしきりに勧められるが、想像しただけで血の気が引く。もし私が子宮頸がんで死んでも、それはもう仕方ないことだと思っている。

来世はプラナリアに生まれたい。小学生の夏休みに理科実験教室みたいなところで観察した、切ったそばから再生する不思議な生き物。自分一人で増殖できるから、哺乳類よりだいぶ楽なはずだ。