「噛むのはルール違反だからな!よーい、はじめ!」
これが父の教育だった。幼い頃2つ上の兄とよく喧嘩をした。お菓子のことやおもちゃのことなど、些細なことであったと思う。
私は女なので、体格的にも年齢的にも兄には勝てる訳もないのに、泣きながら腕をあげて殴り返していた。
普通の親であれば止めに入るのではないかと思う。
「悔しかったらお兄ちゃんを殴れ!」喧嘩を止めない父
無論、母はしょうもないことで喧嘩しなさんなと言いながら、泣き喚く2人の腕をとり、喧嘩を止めてくれていた。父の場合は違う。
「悔しかったらお兄ちゃんを殴れー!兄ちゃんも負けるな!痛いかー!?武器はなしだぞ!生身で戦え!男女関係ないぞ!」「噛むのだけはルール違反だぞ!いけいけー!2人とも頑張れー!」と笑いながら見ているのである。
私は泣きながら短い腕で兄のお腹をめがけて拳をあげていた。兄も泣きながら負けじと叩いてくる。喧嘩が白熱してくると布団を敷き始めて、「ここがリングだから布団の上でやれ」と喧嘩の後押しまでし始めるのであった。どちらかが技を決めるとテンカウントし始める始末である。
そうなってくると引くに引けないものだ。子どもながらに痛いから早く止めてくれよと心のなかで思っていた。幼稚園の先生なら止めてくれるのに、と。
小さい頃から人間扱いして、人を殴ると痛いことを教えてくれた
だが、喧嘩が進むうちに次のセリフを言うのであった。
「人に殴られるのも痛いけど、人を殴るともっと痛いだろ?この痛みを今のうちにたくさん経験しとけ。この痛みを分からずに大人になると力加減が分からず平気で人を傷つけてしまうからね」「喧嘩は悪いことじゃないよ。ただこれ以上やったらダメだというラインを知りなさい」と。
本当にそうだった。もちろん殴られるのは痛いけど、人を殴るのはもっと痛かった。テレビでヒーロー達が戦っているけれど、人を殴る拳ってこんなに痛いんだなと身をもって感じた。子供だからやめなさいと言わず、小さいからこそ今のうちに痛みをたくさん知りなさいという父であった。
子供扱いではない、娘として人間扱いしてくれているのは幼稚園児の私でも理解しており、嬉しかったのを覚えている。
父の教えは口喧嘩でも生かされた。自分も他人も大切にできた理由
大きくなるにつれ喧嘩は口喧嘩になっていくが、父の教育はそこでも気付かせてくれるものがあった。私の中で「嫌なこと言った方が嫌な気分になるよなー」「どこまでなら言っていいけど、本当に言っちゃいけない言葉とラインがあるな」と言わずもがな感じていた。
痛みを与える痛さも、与えられる痛さも知っておけたからこそ自分も他人も大切にすることが出来た。大人になりその時の父と近しい年齢になってきた。喧嘩することはなくなったが、時々その言葉を思い出す。
自分にはまだ子どもはいないが、子どもが出来たら同じことをしてやろうと作戦を企てている。
ちなみに、幼い頃の喧嘩の最後には父が殴るふりをして、私が避けて逃げる手技を教えてくれ、練習もしてくれた。女の子はもしもの時に逃げる練習もしないといけないからと言って。
29歳になった今でもその手技を使えるよ。幸い使ったことはないけれどね。