かれこれ、9年ほど推しているアーティストがいる。
きっかけは、アニメのエンディングテーマだった。
アーティストのビジュアル、色鮮やかで個性的なミュージックビデオ、メッセージ性の強い音楽に惹き込まれた。
田舎の地元を離れ、都会でひとり暮らしを始めたタイミングで同じアーティストが好きな友達に出会い、ライブに足を運ぶようになってから、ますます沼に沈んでいった。

ファンもメンバーも関係なく、全員で楽しむ空間を作る推しとの思い出

それまで行ったことのあるライブは、「生の音源を最高の環境で楽しめる」が一番の魅力だった。
しかし、このアーティストはちがう。
「一緒にはしゃぐ・遊ぶ・盛り上がる」といった感覚が近い。ファンもメンバーも関係なく、集った人全員で楽しむ空間を作り上げていく。それは今まで体験したことのない高揚感だった。

そして、曲の合間に挟まれるトークも貴重な時間だ。
大好きな推しの口から直接語られる言葉は、日々の嫌なことや悩みも吹き飛ばしてくれる宝物だった。一言一言を聞き逃すまいと、全神経を稼働させる時間が尊かった。
彼らが積極的に活動していた時期と、私が都会に進学していた時期がタイミング良く重なって、半年に一度はライブに足を運んでいた。

チケット抽選に一喜一憂し、当選すればギリギリまで曲を聴き込む。
楽曲に手拍子が入っていれば、きっとここはライブ中、皆で一緒に手を叩くんだろうと身体に焼きつける。

ライブ当日は朝からグッズ販売の列に並ぶのは当たり前。いざライブが始まれば、メンバーとの掛け合いは思い切り声を出すし、翌日筋肉痛になるくらい腕を天井に突き上げ、ときにはジャンプをして、頭を振って……。ふだんは声が小さい方なくせに、吹奏楽部で培った肺活量と体力をこのときだけ最大限使う。
言い出したらキリがない。

手紙を出したくなるのはライブ直後。勢いのままに感情を伝えたかった

平日が学校、土日はバイトであまり遊びに行く機会もなかったのもあり、お金はほとんどその推しに注ぎ込んだ。
我ながら、とても幸せな生活だったと思う。
住んでいる地域でライブが組まれていなかったら、行ったことのない土地に遠征することもあった。
真冬に行われた武道館ライブの数日後、クラスで私と友達の2人だけインフルエンザにかかったのも、今では笑い話である。

熱量がライブ中だけでは収まりきらず、手紙を書くようになった。
ライブ会場には、ファンレターを預かってくれるスペースがある。
まずは、レターセット選びからだ。
新曲やタイアップしている作品のイメージ、メンバーの好きなものが盛り込まれた封筒や便箋を、唸りながら選ぶ。
そして夜な夜な、震える手を抑えながら文字をしたためる。

新曲のこのフレーズが好きだ、自分は今こういう状況だけどあなた達のおかげで頑張れている、どうか身体には気をつけてと最後に添えた。
ライブ当日に持参していたのだが、正直なところ、手紙を出したくなるのはライブ直後だった。

高揚感が最大値を超えたあの瞬間、私は勢いのままに感情を伝えたくなる。
ライブがいかに楽しかったか、幸せな時間だったか、この言葉が特に響いた、あのパフォーマンスが素敵だった、など……。
ライブの帰り道、感情のままに、スマホにメモを残していた。
メモはメモのまま、ライブ後に手紙を出したことはなかった。

コロナ禍と活動休止。ぽっかりとした喪失感に包まれる日々

大好きな推しのライブに行ったのは、もう2年も前になる。
その日は、私の地元の隣県で開催された。
ふだんより地元に近い場所での開催に、胸が高鳴った。
この勢いで、いつかは地元にもライブに来てくれたらうれしい。
周りのファンも、どことなく熱量が高かったように思う。
ライブ中も相変わらず、メンバーもファンも思い切り楽しんでいた。
「いやあ、うれしいなあ」
あんまりにも感情が込もっていた彼らの声に、私は思わず目頭が熱くなった。
同じ気持ちで、この場を共有できていることがこのうえなく幸せだった。

その後、ライブ会場に足を運ぶことが難しい時代になった。
重ねて、現在彼らは活動休止中となっている。
活動休止の知らせを聞いたときは、にわかに信じることができなかった。
悪い噂だと、自分に言い聞かせた。
彼らの名前を検索エンジンにかければ、さまざまなことが書かれていた。
嘘か真か判断ができず、そっとページを閉じた。
しばらく経った後日、彼らからの正式な文言が発表された。
「ああ、本当なんだ……」
心の一部が欠けたような喪失感に包まれながら、数ヶ月を過ごした。
大好きな楽曲も聴けなくなった。

この痛みを覚えておくために、出せかった手紙はこのままにしよう

2年前のライブのメモを久々に開いたら、こんな言葉を残していた。
『私はあなた達の、生の言葉を聞くためにライブに行っている』
『直接顔を合わせて言葉を聞きたい、一緒に空間を感じたい』
『小さい箱に来なくなったとしても、地方に来なくなったとしても、ライブを続けていてほしい』

こんな未来が想像できていたなら、必死になって伝えただろう。
言葉にしたら伝わるわけじゃないけど、言葉にしないと伝わらないことを痛感した。
出せなかった手紙は、このままにしておこうと思う。
この痛みを覚えておくために。