私は飽き性である。だが好奇心はある。だから、色んなことに挑戦しては飽きてやめてしまう。そんな私を熱中させたのは、一本のマイクとギターだ。
ギターは小さい頃からお父さんが横で弾いているのを聞いていた。小さい頃のビデオをみると、まだ言葉も喋れない私が、お父さんのギターに合わせてハーモニカをくわえてよだれをたらしながら吹いていた。
兄に悔しい、と思った時から火が着き、納得いくレベルまで猛練習
そんな私も大きくなり、中学生になった頃、ギターを始めた。最初は、手が小さくなかなか抑えられないため、コードが弾けず何が楽しいかわからなかった。ただ、それでもギターのことは嫌いになれなかった。
ある日、お兄ちゃんもギターを弾くようになり、テイラー・スィフトの「We Are Never Ever Getting Back Together」を二人で練習するようになった。やっぱり難しい。お兄ちゃんの方が手が大きいため音も綺麗に出る。
悔しい、と思った時から、火は着いたのかもしれない。一生懸命に練習していたら、自分の納得いくレベルまで弾けるようになっていた。それを、両親は「上手!」と褒めてくれて、さらにはお母さんのお姉さん(おばさん)に電話をして二人で弾くところを披露した。すごく褒められて嬉しかったのを今でも覚えている。
そして、高校になった私は、ずっと音楽が好きだったため中学では吹奏楽に入っていたが、高校には軽音楽部があったため、私を夢中にさせたギターを披露できる機会ができると思い、迷わず軽音部に入部した。
入ってすぐに、バンドを組んでライブができるわけではなく、最初はギターのテストというものがあった。正直私には、簡単だった。先輩にも褒められ、私はギター専門でいこうと思った。
ギターポジションを、と願ったのに、ボーカルにまわされていた絶望
ただ、バンド編成はそんな簡単に自分の好きなパートにはなれない。ある日、テストが終わり、ようやくいろんな人とバンドを組んでみようという機会があった。ただ、ギター希望はあまりにも多く、誰かはボーカルにまわらないといけないという最悪な状況になった。
なんとしてでもギターポジションをとりたい。そうやって願うと人って不思議だ。いつの間にかボーカルにまわされていた。
絶望だ。入ってしまった部活を辞めるわけにもいかない。まあこのチームで決まりというわけではないから、最終的なバンド組会議でギターにつければいいと思い、そこでは諦めボーカルを担当した。
その時は、課題曲と自由曲があり、2曲披露することになった。やはり、練習は欠かせないため、初めての曲合わせの日。私は、緊張していた。カラオケには行ったことがあるが、そんな本気では歌わないし、ただ、それだと部活では通用しない。真剣に歌うことなんてそれが初めてだ。
前奏が始まってしまった。もうすぐボーカルパートだ。気づけば曲が終わっていた。ふうと思って顔をあげると、みんなこちらを向いて目を輝かせていた。私は、なにか間違っていたかなと不安になっていたとき、「やばいじゃん!!!!うますぎる!!!」「びっくりして、一瞬自分の手止まりそうになったよ!!」と言われた。
歌声を褒められ歌手を志した経験は、人生の分岐点でもあり輝いていた
予想外すぎた。歌っている自分の声は、客観的に聞けないため、自分の歌声はどのように聞こえているかなんて分からなかったため、驚いた。そして、ライブ本番の時も他バンドのたくさんの部員に褒められ、顧問にも評価してもらった。
ギターを弾いているときも、もちろん自信があったため、褒められることもあったが、ここまで驚かれるほど褒められることはなかった。それが私にとっては快感で、結局私はボーカリストになったのだ。
そして、その歌声を生かすために歌手になることを本気で志して、オーディションにも応募していた。ただ、やはり歌手の道は当たり前に厳しく、自分より上手い人など数え切れないほどいるのだ。
そのため、私は本気で高卒で歌手になろうと思っていたが、高校が進学校だったのもあり、周りが受験に向かう姿に焦りを感じ、結局大学を受験し、今の大学に通っている。
大学に入ってからも、もちろん軽音サークルに入り、音楽を楽しみたくさん褒められたが、高校の頃ほどの熱は冷め、今はサークルをやめて、家でギターを楽しんだり歌を歌っている。
この経験は、自分にとって大きな分岐点でもあり、一番輝いていたなと思うため、もう一度戻りたいが、だからといって、今の選択に後悔は全くないし、友達にも恵まれ私の人生は常に幸せである。