今朝、仕事のつもりで6時前に起きた私は2階の寝室を出て、いつものように階段を降りようとした。吹き抜けから見下ろした2つのゲージ。そのうちの1つに横たわる愛犬の姿は、明らかに呼吸をしていなかった。

急いで1階へ降り、愛犬の体を触る。昨晩まで乱れながらも動いていた体は、ピクリとも動かなかった。もう一匹の愛犬の散歩を終えて外から帰ってきた父と目を合わせると、無言でうなずいていた。
「そういうことだよ」と伝えるかのように。

声を出して泣いた。数日前、病院で「旅立ちが近いかもしれない」と言われていたが、やはり突然の別れは受け入れられなかった。私の人生の半分以上を共に過ごした、大切な家族の一員だから。

信じられない気持ちを抑えながら、ペット霊園に連絡を入れ、これからの流れの説明を受けた。コロナの影響なのか、家族による立会火葬はできないようで、職員のみで行う一任火葬の一択しかなかった。手紙を書いて棺に入れることも考えたが、一任火葬ではそれは難しいため、恐らく手紙を出すことはできないだろう。
それでも私は14年間を共に過ごした愛犬に伝えたいことがたくさんあるため、この場で私の思いを記そうと思う。

家族揃ってひかれた生後40日の柴犬。飼って痛感するしつけの大変さ

私と双子の姉が小学校中学年のとき、母が「犬を飼いたい」と言うようになった。特に柴犬が好きだった母の影響で、私も姉も気が付けばペットショップで柴犬を探すようになった。
家族でドライブをした休日の昼下がり。何軒かペットショップを回って家路につく頃、母が「あの小さな柴犬が忘れられない」と言ったため、ペットショップへUターンし、その犬を抱かせてもらった。

犬を触るのがほぼ初めてだった私は、両手に収まるくらいの小さな体を抱き、その毛の柔らかさに驚いたのを今でも覚えている。軽く垂れた耳、小さいながらも柴犬らしくきちんと巻かれたしっぽ、ビー玉のように丸々とした目、根本が黒くて表面はきれいな茶色をしている毛並み。

家族そろってその犬に惹かれ、生後40日という幼さで我が家へ向かい入れた。母が好きだったアメリカのキャラクターからとった「アンディ」という名前は、日本犬なのにいかにもアメリカンな名前で最初は違和感があったが、いつの間にか呼びやすい名前になっていた。
いざ犬を飼ってみると、しつけの大変さを思い知らされた。一番苦労したのが、子犬特有の甘噛みだった。家族全員の体を噛みつき、何度傷を作っただろうか。
甘噛みの多さに悩んだ母は、アンディを手放すことも考えた。私と姉が必死にそれを止めたことで、母のそのような発言はなくなったが、あの時私たちが止めていなかったらと思うとぞっとする。

家族4人と柴犬2匹の生活は、家族の共通の話題で、色鮮やかだった

しつけが一通り終わった頃、我が家にもう一匹の柴犬を迎え入れた。
アンディより5か月遅い誕生日の女の子の「ユキ」は、アンディと相性が良いわけではなかった。一緒に遊ぶときは、お互いに恐ろしい顔つきで噛みつき合う。どちらも血が出るほどの強い力ではなかったため、じゃれ合いの一つなのだろうと思い、私たち家族はその様子を面白がって見ていた。

家族4人と柴犬2匹の生活は、どんどん色鮮やかなものになっていった。皆で湖のほとりで白鳥を見たり、広い公園で雪の中を走り回ったり。毎晩9時にエサを食べられることが身に付き、その頃になるとゲージから上半身を乗り出して何十分も2本足で待ち続ける。家族一人一人を鋭い目つきで見るその姿は、我が家に来た親戚や友人も大笑いしていた。
何気ない日常の中に、アンディとユキという家族の共通の話題ができ、笑顔が絶えない毎日だった。

いつしか家族全員が揃うことは減っていった。父の転勤、姉の一人暮らし、そして母の他界。
移り変わる状況の中で唯一、私は実家から出ることはなかった。14年間離れることなく見守ってきた私は、アンディの容態の変化に気付き、毎週のように病院へ連れて行った。

先月からは明らかに今までと様子が違った。エサを食べないだけでなく、全く体が動かなかったときは、急いで夜間救急に連れて行った。肺に水が溜まって心臓が圧迫されている状態で、高齢で体力もないため、治療も難しいということだった。すがる思いで連日病院に連れて行ったが、先週末「家族で看取ることも考えて」と告げられた時は頭が真っ白になった。

我が家の一員になってくれた全てに感謝して、明日を迎え入れよう

一度も動かず、ゲージの中で横たわったままの日々。水が入ったボトルを近づけると、かろうじて顔だけを上げて水を飲んでいたが、いつしか顔を上げることすらできなくなっていた。昨晩は苦しそうなうめき声を上げ、持ち帰って仕事をしていた私は、涙が溢れて仕事が手につかなくなった。

この文章を書いている今、亡骸となったアンディはまだ私の近くにいながらも、すでにこの世にはいない。きっと天国で私の亡き母と再会し、たくさん遊んでもらっているだろう。母は「待っていたよ」と優しくなでているに違いない。

明日の午後、手紙を出すことはできなくても、幸せな14年間への思いを込めてペット霊園に送り出す。我が家の一員になってくれたこと、様々な苦労に見舞われた私に14年間寄り添ってくれたこと、私たちにたくさんの笑顔をくれたこと。全てに感謝をして明日という日を迎えようと思う。