私は18歳の時、これからの人生に影響を与える人物と出会った。
当時高校3年生だった私にはスクールカウンセラーになりたいという夢があった。
そのために教育の学校では有名な大きな大学を志望していた。

三者面談で言った、スクールカウンセラーの夢

もともと心理士になるという夢が決まっていたわけではなく、小学校の頃は女優、中学校ではミュージカル女優や通訳者などコロコロ変わるような子だったと思う。
高校では1年生の頃まで舞台役者になりたいと音楽教室で声楽やピアノを始めたこともある。しかし、2年生に上がるころには、周りの受験に向けての雰囲気にのまれ、誰もが知っている大学に行きたいというようなミーハーな思いに変わってしまった。
思ったよりもこれが私にとっては転機だったようで、意外にもちゃんと勉強すればするすると点数が取れた。目的はないまま点数は上がったが、行きたい大学は定まらないままだった。難関大学の指導などにも呼んでもらいモチベーションは何とか保たれていた。
実際進路志望届を提出する2年生の10月、母を呼んだ三者面談で「スクールカウンセラーを目指したい」と言った。
私は昔から仲が良い友達は少々家庭や自分の事情で悩んでいる子が多かった。しかも自分にとって一番仲が良い子がだ。自分でも少々笑ってしまうが、小学校の頃はすぐに泣いてしまう子、中学校の頃は家で再婚相手のお母さんから虐待を受けていた子、高校では拒食症の子などといった具合だ。どうして自分は普通の友達ができないのかと悩んだこともあるし、対応の仕方でも本当に悩んだ。

友達や弟の悩みを察せても、何もできない無力感から救った先生

実際、中学校の時には「家に帰るとはたかれてつらい」「ほかの兄弟には優しい」と相談された。私には何もできなかった。目の前で大好きな友達が泣きそうなのに。先生に相談して対応を待つしかなかった。
また、別の日にはクラブにたまに来ていた不登校気味の男の子が「死のうとしたことがある」といった。それは中学生の私には本当にショックだった。本当のことのはずなのに、頭が真っ白で現実味がなかった。
どちらにしても私には何もできない無力感だけが残った。「生きててくれてよかったよ」と返答するのが精いっぱいで、次からどんな顔をして会えばよいのだろうと思った。中学生ながら複雑な悩みを抱えたなと思う。
私の家庭も弟が不登校気味だった。だからだろうか、相手がいやになることを言わないとか気持ちを察するという特技が生まれたのだと感じるようになった。だからだろうか、必然的に問題や悩みを抱えた友達が多かったのかもしれない。
そんなあるとき唐突に救われる。
スクールカウンセラーの先生に母は弟の相談をしに行ったのだが、先生はえらく私のことを大丈夫だろうかと心配していたという。家庭で本心が言えているか、弟のことに関してばかり我慢ばかりしていないかということだった。その話を聞いたときにいつになく心を見透かされているような、すっとした気持ちになった。

お礼を伝えられないまま会えなくなったけど、先生は今も心の支え

ふと、私がしたい事はこれだとピンときた。
受験期の面接の前にはこの先生の話を聞きに行き、業務内容や、普段考えていること、カウンセラーになりたいということを話した。この日が会うのは初めてなのに安心して話せる環境と、優しそうなまなざしで聞いてくれた。
その春、私は大学に合格し、先生のもとを訪れた。その時先生はもういなかった。挨拶に来る一週間前のことだったという。それは合格発表の日だった。
私のすべてがわからなくても先生はその状況を必死に理解しようと歩み寄ってくれていた。理解しようとしてくれていた。きっとそれが相手の心にとって大事だったのだ。

あれから3年たち、私は元気に頑張っている。毎年冬が近くなるこの時期には先生を思い出す。
もうすぐ就活も本格的に始まり、自分を見失ってしまいそうな時が多くなる。そんな時には先生の言葉を思い出す。

あの時すぐ手紙を出していたら先生は返事をくれただろうか。この夢を気付かせてくれ、会ったこともない私を心配してくれていたことは本当に私にとって大きな支えだった。
不安な受験期に担任の先生に否定されても、信じてくれた。そんな人に私もなりたい。人の心に寄り添って大切な人を自分で守りたい。
些細なきっかけで数回しか会うことはできなかったが、先生は私にとってかけがえのない恩師だ。私の出したい手紙は、きっと心に届いてほしいなと思う。