私は看護学生。優しくまじめな性格で、友達にも恵まれていた。学業成績もよく、アルバイトもして、実習では患者さんに感謝されることも多かった。
「患者さんの笑顔を見るのがやりがい」。そんな風に純粋に思っていた。

工夫しながらコンプレックスである心身を保ち、看護師を目指した

だけど、私にはコンプレックスがあった。
心身が弱い。体重は、痩せたいわけじゃないのに常に40kg前半。横から見ても薄い。筋力も人一倍なかった。
しかもメンタルも弱い。中学の頃に受けたいじめの影響があり、10代の頃から心身症を発症しまくっていた。耳栓をしながら授業を受けたり、動悸で保健室に駆け込んだり、腹痛になるので公共交通機関に乗れなかったりした。

それでも、自分なりに工夫して生きてきた。食欲がないときはカロリーの高い食品を摂取したり、自宅で筋トレをしてみたり。大きい音が鳴る場所は避けて、移動はなるべく自転車に乗っていた。自動車免許も取ったので、通勤は原付に乗ろうと思っていた。

実習やテストで眠れない日に苦しみ、時に涙しながらも、学生生活は問題なく過ぎていった。最終学年になり、就職先は希望の病院に決まった。国試も合格ライン。卒業アルバムの写真も撮った。待望の看護師人生がスタートしようとしていたとき、悲劇は起きた。

糸が切れたように身体が動かず、止まらない涙。ついた診断は適応障害

ある日を境に、糸が切れたように身体が動かなくなってしまったのだ。目からは涙が止まらず、食事も睡眠も満足に摂れなくなり、ふらつきもひどく、不安と焦燥感のあまり一人では外出できない状態になった。
このとき、私の脳裏を「うつ病」がよぎった。とっさに芸能人の自死を思い出し、まだ死にたくない!と強く感じた。母親に、「引きずってでも精神科へ連れて行って」と頼み、その日のうちに入院となった。

そして、ついた診断は適応障害。
実習や国試に向けた勉強が、思った以上にストレスだったらしい。また、同時期にいろいろなトラブルも重なり、ストレスを抱えきれなくなってしまったのだ。
眠剤と抗不安薬を飲みながら、病棟の個室で過ごした。その間じゅうほぼずっと泣いていて、ナースコールで看護師さんを呼んでは傾聴してもらっていた。

約2週間後に退院した。しばらくは情緒不安定な状態が続き、不安感から家にこもりがちになり、人にも会いたくなかった。歩く体力は15分程度しか持たず、コンビニに一人で行くのすら怖かった。

しかし、学校を休学するとすぐに体調がよくなり始めた。肩の荷が下りた気分だった。
夜は8時間ほど寝て、3食をしっかり食べ、おやつも食べるようになった。一人で外出するのにも抵抗がなくなり、買い物や外食、ゲームなどの娯楽を楽しめるようになった。気分も安定するようになり、2週間ほどで薬もほぼやめられた。

将来への不安は大きいけど、この経験がきっと私に何かを教えてくれる

「ああ、適応障害って本当なんだ……」と私は思った。
看護が好きだったのに。ここまで来て、諦めなきゃいけないのかな。私の2年半の頑張りって、何だったんだろう……。
あこがれだった就職先の病院は、内定辞退した。学校関連のライングループは、辛いので見なくなった。
病院で受けた知能検査では、IQが高い分野と低い分野の差が大きいことも分かった。それがますます、看護学生としての自分への自信をなくさせた。

現在は自宅でゆっくり過ごし、カウンセリングを受けたり、学校の保健室に通ったりしている。
将来への不安は今も大きいが、きっと私のような看護師を必要としている人がどこかにいるはずだ。もし看護の道を歩まなかったとしても、この経験が私に何かを教えてくれることは間違いない。

ほどほどに手を抜いて、頑張りすぎず。自分を大切にして、まだまだ先の長い人生をのんびりと歩いていきたい。とにかく今は休養しよう。