私は、幼稚園から中学校の記憶がほとんどない。小学校から塾に行き、中学校受験をして、うまく行かなくて、高校受験で無事合格した。
このような経歴的な事実としては残っていても、その時にどう大変だったのか思い出せないのだ。ただ、大変だった記憶がある。どう乗り越えたのかも分かってない。
それでも、1つだけ後悔している喧嘩がある。

幼稚園から腐れ縁のなな。小学校に入るとクラスも離れ、距離ができた

幼稚園から腐れ縁のななは家も近く、放課後に遊ぶ仲だった。小学校に入ると、クラスも離れ、次第に距離ができ始めた。
時が過ぎ、小学校5年生の時に転機が訪れた。中学受験を控えていた私は、うまく成績が上がらず、親にも怒られっぱなしで心がガサガサしていた。姉や妹に暴言を吐きまくっていた。プライベートでうまく行かない気持ちを会社でぶちまけてしまう上司みたいなものだろう。

それに加え、身長が高学年になるにつれて伸びてゆき、かわいいブランド服を身に付けさせてもらっていた私は、モテた。男にも女にも。
いや、モテていたとは言いすぎたのかもしれないが、友達は多かった。完全に調子に乗っていた。そして、それをよく思っていないと思う人たちもいることも知っていた。

みんなから好かれていて、中学受験をする私は調子に乗っていた

その時、ななとはクラスが別で廊下で、すれ違えば世間話をする程度だった。しかし、ある時、噂が耳にはいってきた。
「まりって、ななの好きな人知っているくせに仲良くするなんてサイテー」
知らねーよ。てか、知ったこっちゃないよ。ななの好きな人(りょう)は、誰からも愛されるクラスの人気者だった。確かにりょうと私は仲が良かった。クラスも同じで、席も隣同士。話さない理由があまりなかった。

しかし、調子に乗っていた私にとっては、そんな噂どうでもよかった(今でもどうでも良いと思ってるが……)。「自分が楽しいと思ってる人と話して何が悪い?」と反抗的だった。
その態度に気に食わなかったのだろうか。そこから私たちの関係は一気に悪くなった。
廊下ですれ違っても無視は当たり前。向こうが嫌いと言って来てる以上、こちらも何をしても無駄だろうと思っていた私はほっといていた。しかも、中学受験を試みていた私にとって、もう関わる事がないとたかを括っていた。

中学受験に失敗し、ななと同じ中学校へ。これが部活まで同じだった

完全に中学受験を失敗し、たどり着いたのはななと同じ中学校。そして、同じクラス。さらには、同じテニス部。本来なら仲良くないわけがない設定だが、お互いずっと無視状態だった。
中学の3年間、同じ部活で全く話さないということはなかなか難しい。しかし、それを察した部活の友達が全て伝達してくれていた。そのおかげで、なんとかやり過ごすことができたのだ。

その時は、よかった。嫌いな人とは話さなくても良かったからだ。けれども、弊害は訪れる。
完全にテニス部は分裂した。私の仲良い子と、ななの仲良い子の間にも亀裂が入ってしまったのだ。同じ部活同士で、仲が悪くなるとまたややこしい。けれども、どうすることもできなかった。
これが私の喧嘩の思い出だ。もちろん中学卒業以降、ななには会ってない。そして、テニス部の子にも会っていない。今になって少しだけ会ってみたいと思うが、時は戻らないだろう。後悔している。