彼女は1番の親友だった。私が小学1年生から中学2年生まで、学校で授業以外の時間は彼女と過ごした。
当時、私の失敗は笑ってくれたし、困ったときは助けてくれた。小学校ではクラブ活動も一緒、中学校では部活も塾も一緒。トイレだって一緒に行った。
お互いに、嫌なことがあれば一番に話すし、私が児童会副会長に立候補した時も、彼女は責任者として私を応援してくれた。

私は、彼女と「些細なことでも笑いあえる関係」がとても好きだった

楽しかった記憶といえば、小学5年生か6年生のときの総合的な学習の時間のことだ。2人で調べ学習をしていたら、サッカー選手のフランス代表ジダンが頭突きをしたというニュースが目に入った。思わず私は「ジダンがあたまつきしたって!」と言ったら、彼女は大爆笑。私も思わず笑ってしまった。
彼女の笑いの理由は、もちろん「頭突き」を「あたまつき」と私が読み間違えたからだった。今考えればただ漢字が読めなかっただけで恥ずかしい話なのだが、そのときは箸が転がっても面白いくらいに大爆笑。くだらない、些細なことでも笑いあえるそんな関係がとても好きだった。
最初に言った通りだが、その関係は中学2年生までになる。それから13年。成人式で一言交わした以外、彼女と会うことも話すことはなかった。きっとこれからもないだろう。

私と彼女の中学2年生で起きた出来事は、今も色褪せることなく頭に残っている。中学1年生の4月、スポーツが好きだった私と彼女は一緒に女子ソフトテニス部に入部した。ソフトテニス部にはほかに10人の同級生がいた。
3年生はいなかったので、先輩は2年生だけ。運動神経がよかった私は、1年生の中で1番の実力を持ち、夏を過ぎると2年生の数人よりも上手になった。そして、1年生同士も気の知れた仲となり、みんなで遊ぶこともあった。

中2の冬を迎えたころ、私は部活内で「いじめの標的」にされた

しかし、冬を過ぎたころ、1年生の中で突然仲間外れが始まった。もちろん、中心にいる子が「〇〇うざくない?」と言う一声で、一定期間1人だけ仲間外れにされる。中心人物は親友の彼女だった。
ほとんどは1か月くらいで終わり、飽きると次の人、また飽きるとその次の人、という感じで変わっていく。内容は悪口、避ける、無視。ひどい場合は練習中、先生にばれないようにラケットで打ったボールを狙って当てる。

今なら、いじめといわれるだろう。そのころ世間はいじめに敏感ではなかったから、周りは見て見ぬふりをしていたと思う。
中学校で2回目の冬を迎えたころ、いよいよ最後の標的は私になった。グループの中心である彼女と親友なのに、自分が標的にされるなんて思わなかった。
でも、そのとき私の成績は学年で一桁の順位、生徒会役員でもあり、部活では1番手。調子に乗っていた時期だったと思う。
小学校からの親友は最後まで私の味方だと思っていたけれど、調子に乗った人を彼女は許さない。そんなことはわかっていた。彼女はきっと、調子に乗ったのが親友でも、許せなかったんだと思う。

彼女に歯向かう人は今までいなかったけれど、親友が敵になったことに私は納得いかなかったから、彼女とけんかをすることにした。学校でけんかするつもりだったけれど、もちろん学校では無視だし、部活の仲間と少しでも話せば睨まれる。

ある夜、彼女に電話をかけたが、私たちはもう仲良くすることはなかった

どうにもしようがなかった私は、夜、彼女の家に電話をかけた。冷たい雨が降っていた日だったと思う。
私は「今までの関係は嘘だったのか?もう悪口なんていわないから、お願い。仲良くしていたい」と言った。
それに対して、彼女は「今までは今まで。今はうざい。仲良くするなんて無理」と言って電話を切った。着信拒否をしたらしく、二度と電話が繋がることはなかった。
電話だけではない。卒業まで私は悪口を言われ続け、2人が繋がることは二度となかった。

中学を卒業して5年後、成人式で久しぶりに顔を合わせた。彼女から話しかけてきた。「久しぶり、みんな変わったようで変わらないね」。
私は「ほんとだね」とだけ返した。
たったそれだけ。互いにぎこちなさは異常にあった。でも、彼女もぎこちなかったからこそ、彼女も彼女なりに考えた行動だったのだと思えた。
真意はわからない、モヤモヤもした。でも、彼女もきっと、私との楽しい出来事も悲しい出来事も、色褪せないものとして記憶しているんだと思う。