初恋の人は、その時は年上で、どんな逆境にも屈しない強さを持つ、顔立ちの整ったお兄さんだった。
でも今は年下で、年の差はどんどん開いていくばかり。漫画のキャラに恋をしたのは昔の話。今は自分自身が大人になったので、一周回って、息子を見るような気持ちで彼の人生を見守っている。
初恋の人に憧れてテニスを始めた私。でも部活を一年で辞めた
そんな彼の好きなタイプは「健康な子」だと言っていた。幼かった私はそんな子になりたくて、そして彼に憧れて、彼と同じスポーツであるテニスを始めた。入学した中学では軟式テニス部しかなかったので、そちらの方で一年間、部活に励んだ。
誰よりも早く教室に出て、誰よりも早く校内グラウンド一周ランニングを終え、誰よりも早くネットの設置をして、誰よりも多くラケットを振った。
しかし真面目に取り組んでも、運動音痴な私の実力は一番下。いくら打ってもアウト、フォルト、ダブルフォルト。テニスの神様は、ミーハーで始めたオタクに厳しいようだ。彼のように強くはなれなかった。
さらに事件まで起きた。同級生の、実力は二番目くらいの人に「弱いくせに調子乗るな」とラケットで思い切り殴られたり、頭を掴まれてコンクリートの壁にぶつけられて鼻血を吹かしたりと、いじめの被害に遭った。もちろんこのことは先輩を巻き込んだ問題へと発展した。
また、部活とは別にクラスでも、帰り道でも他の人から被害に遭い、そんな様々な要因が重なり、中二に進級した頃には不登校を決意した。もちろん部活も一年で辞めた。
テニス部を辞めても不登校になっても、彼が希望を与えてくれた
あーあ、「健康な子」じゃなくなっちゃった。心病んでるんだもん。好きになんてなってくれないよね。当時の私は、彼と年齢が近かったからこそ、とても身近な存在に思っていた。脳内にイマジナリーの好きな人とおしゃべりをするようにしていたほど。今思うと、とても黒歴史。
けれど、この黒歴史は自分の想像力を豊かにしてくれた点では悪くないと思っている。とにかく不健康な心な私が「健康な子」に当てはまるわけがない。ああ、見ててくれないんだ、とショックを受けるが、変わらず彼のことは好きでいた。つらい目に遭っても、彼はこの世に舞い降りた神のように神々しく、美しいままだった。
彼は歌も歌っており、私は彼の曲を聴くことでなんとか精神を保っていた。テニス部を辞めても、不登校になっても、彼の美しく儚げな歌声を聴くたびに生きる力が湧き、心があたたかくなった。
彼への憧れの思いが、私に再び希望の光を灯してくれたのだ。まるで、信仰が生きる道筋を照らしたように。きっと宗教の信仰者はこんな気持ちなんだろうな、とも思えた。
彼への憧れのおかげで、私は少しだけ「健康な子」になれた
それから十年以上経った今。今でもそんな彼を好きでいる。好きといっても、恋愛感情というよりは母性愛の感情。十年以上経って私が大人になっても、ずっと二次元にいる彼の年齢は変わらないままだからだ。
それでも彼のかっこよさ、美しさは不変なので、彼への憧れも十年以上経ってもそのままだった。しかし母性愛が目覚めてから、彼がいつか、運命の「健康な子」に巡り会えるようにと、彼の幸福を祈るようになった。そして、常に勝利を求める彼への憧れの一環として、私は今日も健康でいようと、軽く運動をして規則正しい生活を心がける。
きっと彼と出会っていなかったら、健康志向にならず運動もろくにせずブクブク太り、何かしら生活習慣病にかかっていただろう。不登校期間中は心療内科に通っており、今も通ってはいるが、身体の方は今のところ生活習慣病にかかったことはない。彼に救われたような気がする。
彼への憧れのおかげで、私は少しだけ「健康な子」になれた。彼と付き合えるなんてもう思ってないけれど、彼への感謝の思いはずっと心の中にある。私はもうテニスはしていないけれど、彼への憧れは生きている限りずっと続いていく。漫画のキャラというフィクションの人物でも、この憧れの思いは本物だ。