「喋ってないでご飯食べなよ!何回言っても直らないじゃん、もう知らん!」
あの高校2年生の朝、私は「弟」に怒って家を飛び出した。
「弟」からしたら私は鬼に見えたに違いない。横目に映った怯えた目と怯んで動かない手が今でも脳裏にこびりついている。
その時は、もうその顔も声も見ることも聞くこともできなくなってしまうなんて、微塵も思いもしなかった。
「弟」に言いすぎたことを、帰ったら謝ろうと思いながら1日過ごした
私は10歳から高校卒業まで児童養護施設で育った。そこは6人の子どもを3~4人の施設職員が交代で泊まり、子どもを見る「グループホーム」という形の施設のひとつだった。
3歳の幼児から高校生までがバランスよく入所した6人。お互いに気さくに話し、自由時間ではおままごとの相手をしたり、高校生にもなると職員と一緒にごはんの手伝いや子どもの寝かしつけ、外遊びの相手をすることも多かった。
まるで本当の家族のような存在だった。
その「弟」は歌が好きだった。
いつも流行りの歌を振り付きで披露してみせたり、時にはおちゃらけたりして、みんなのムードメーカーだった。
あの朝、何回か注意してもおしゃべりが止まらず進まない朝ごはん。
痺れを切らした私は「喋ってないでご飯食べなよ!何回言っても直らないじゃん、もう知らん!」と怒って家を出てしまったのだ。
家を出てから登校途中、「ああ、言いすぎたなあ……」「帰ったら謝ろう」と頭の片隅に軽く思いながら1日を過ごし家に帰った。
帰宅し、あたりを見回す。「弟」はいなくなっていた
そして、帰宅しドアを開け「いつも通り」にただいまと言う。
「いつも通り」にリビングのソファにカバンをポイと投げ、今日のご飯は?と職員に聞く。
あたりを見回す。
いない。あれ。もう一度見回す。
やっぱりいない。
その瞬間、足先からサーッと冷えていく感じがした。
「弟」はいなくなっていた。
その日、「弟」は親が迎えに来て家に帰って行く日だったのだ。
本人以外の他の子どもには、その予定は一切知らされない。本人が口外してもいけない。もともと親のいない子もいるための配慮である。
なぜ。
なぜ、あんなに怒って家を出た。
なぜ。なぜ。
グルグルグルと頭の中をもう意味のない後悔が襲う。
当たり前だと思っていた。いつも通りに帰ったらそこにいると思っていた。
「あたりまえ」なんてこの世にはないんだ。そう思い知らされた出来事だった。
今では思う、あの子はあの子なりに不安で寂しかったのではないかと
児童養護施設では一度親元に帰って行った子に会ったり連絡を取ったり、近況を知ろうとすることは許されていない。
今では思う。あの朝、あの子はあの子なりに不安で寂しかったのではないかと。
この朝ごはんが最後なのは自分しか知らないという、言えないもどかしさを抱えながら。
それをおしゃべりをして長引かせることで「みんなとの最後の時間」を味わっていたのではないかと。
それを私は自分勝手にぶち壊してしまったのだ。
あの「弟」が無事に暮らしていたら、今では16歳ぐらいだろうか。当時の私と同い年だ。
あの日のことを忘れているかもしれないが、私は今でも「ごめんね、あの時は私の勝手で怒って怖い思いをさせて、あなたは悪くない。だいすきだよ」と伝えたい。
でもきっと一生叶わないだろう。
「あたりまえ」の尊さと儚さを胸に刻んで、同じことを繰り返さないように生きていくことが、唯一私にできることだと信じている。
どこにいるのかも分からない「弟」よ、どうか無事で幸せに暮らしていてほしい。ただそれだけを私は願っている。