きみに会ったのは、いろんな幸せを諦めた時だった。小さいときは当たり前にできると思っていたことが、こんなにも難しいとは。
結婚も仕事も、夢も全部わたしには不釣り合いで高望みだと思い知らされた。散々悩み散らした挙句、至った結論は、「来年になったら死んでやろう」だった。
諦めると意外にも体が軽くなり、未来を考えないで生きているのは結構楽だった。

あの日、きみの姿を見て、わたしの絶望は溶けていった

そんな時にきみは、さらりと軽やかに話しかけてくれたのだった。
特に深い意味はなかったと思うけれど、未来にも過去にも奥行きがなく、存在が消えて飛びそうなほど薄っぺらかったわたしには、それだけでじんわりと心が暖かくなる出来事だった。
いろんなことを話してくれた。好きなバンドのことや、どんな絵が好きか。一生懸命がんばって向き合っている物事や、風邪をひいたときの治し方とか。
「へえ」とか「そうなんだあ」とか言って必死に冷静を取り繕いながら、足元はほわほわと浮いているようだった。

自分の気持ちに素直になれたらよかったのに、もう傷つきたくないわたしは、好きになってしまわないように必死だった。そう思っている時点で好きだったのに。

気づいたときにはもう遅く、きみは遠くに行ってしまうのだと話してくれた。
最後、どうしてもお別れが言いたくて待ち伏せた。ストーカーみたいだと思ったけど、最初で最後だったのだから許してください。
会えるとは思っていなかったから、きみの姿が見えた時、心の底から生きていてよかったと思った。本当に思ったのだ。

報われなくても、実らなくても、そんなことよりも。

でも、どうしても好きだとは伝えられなかった。存在に救われていたのに、そんなことを伝えて重荷になるのは耐えられなかった。
年齢とか、かわいくなさとか、不甲斐なさとか、自分の爪の形とか、そんなことですら一つ一つが重い鉛の蓋のようになって、「ありがとう」もちゃんと言えた自信がない。
あのとききちんとフラれていればよかったな。もうきみが、どこでどうしているか知るすべもない。

人から見れば、報われない、バカみたいな片思いだろう。ときどき自分でも、なぜこうもうまくいかないものか、いつまで一人でいる気なのかと悲しくなる。
でも、どうしても最後の最後には不幸だなんて思えない。どう考えてもきみに会えた幸せのほうが勝るから。

生きていればこんな宝物に出会えると知ってしまったから

この世界のどこかで同じように息をしていると思うと、むっとする夕方の空気も、冷たい一滴の雨も、枯れてしまいそうな花も、全部大切なものに思えた。
わたしの人生の中で、きみに会えたことは、ごほうびみたいな出来事だった。

きみはわたしのこと、もう覚えていないだろうな。けど、本当はありがとうって言いたかった。わたしはきみとの思い出だけで生きていられそうな気がしている。
そんな風に思わせてくれたきみには誰よりも幸せでいてほしいな。いつの間にか年は明けていて、嗅ぐ予定のなかった金木犀のいい匂いがしている。
生きていればこんな宝物に出会えると知ってしまったわたしは、もう死ねないな。