最初に手を取ってくれたのは、あの人だった。
でも、最後に手を離すことができたのはわたしだった。

わたしが彼をふった理由、それはもう歩幅が合わなくなってしまったからだと思う。

彼に振り回されることに、一種の快感を覚えていた

彼と出会ったのは17歳の春、はじめてのバイト先にて。バイト終わり、桜いっぱいの道のなか、急に手を繋がれたそれだけで、クラクラしてしまったのだ。
そこからは無言で、ゆっくりと一緒に歩いた。大学生で背が高く、口が達者なのに、どこかくたびれている雰囲気も見え隠れする人。5歳年上、大学生の彼は高校生から見るととにかく大人に見え、その自分勝手な雰囲気すら格好良く見えた。

18歳、ひょんなことから付き合えたけれど、気づいたらふられていた。
彼からしたら、ちんちくりんな10代など、遊び相手にすらならなかったのだと思う。いつのまにか、会えなくなっていた。
意味のわからない恋だったのに、はじめての失恋は10代の心にはあまりに重く、数日間ずっと泣いていた。まだ、とても若かったのだ。

22歳、それなりに恋を重ね泣くことも泣かせることも覚えてきた頃に、ばったりと彼と再会した。彼はまた意味のわからないスピード感で人の心に押し入り、あれよあれよと彼のペースに飲まれて付き合ってしまった。

また急に会えなくなってしまうのでは、という不安がいつもどこかにありながらも、数年は幸せだった。彼の持つ意味わからなさ・理解できなさが、まだ甘い自分を成長させてくれる部分なのだと勘違いしたまま、振り回されることにすら一種の快感を覚えていたのだと思う。

同棲することで愛はただれ、だらしない依存関係に変わった

しばらくして一緒に住むことになった。一緒にいる時間が増えた分、おざなりにされていることを無視できなくなり、悲しくなることも増えた。
仕事ばかりで夜も遅く、デートもほとんどなし。毎晩お酒を飲んではひとりですぐに寝てしまう。体型の変化も気にせず、身なりにも気を使わない。
いろんな彼をゆるせなくなり、わたし自身もすぐに不機嫌になったりと不安定になった。それでも、くるしい時には優しく寄り添ってくれ、「きみにはぼくがいないとだめだね」と抱きしめてくれた。

同棲することで愛はただれ、だらしない依存関係に変わってしまっていた。わたしには彼だけで、彼もわたしだけ、2人きりなのになんだかつらい。生活と愛の伴わなさに泣いた。
それでも、はじめてわたしの心に触れてくれた人で、苦しいほど好きになった人。そしてまた出会えた、きっと運命の人。10代の私の想いにしがみつくように、恋愛を続けていた。

結婚を、愛の言い訳に使うなよ

そんなある日、近所のファミレスでピザをたべているとき唐突に「君が25歳になったら結婚しよう」と言われた。とてもびっくりして、涙が出た。でも嬉し涙ではなかった。嬉しくないことにまたびっくりして、自分が無理をしていることにようやく気づけた。
ふたりの終わりの予感を彼は察して”結婚"をほのめかしたのかもしれない。彼は、ずるい人だから。でも、わたしはちゃんと嬉しくなかった。
結婚を、愛の言い訳に使うなよ。この先も、こんな愛の後腐れのような生活を続けるのは、いや。

結婚の文字を出されてから決心は早く、わたしは一緒に住む家を出た。
出会って7年。わたしにとって彼との恋は奇跡で、愛は呪いだった。もちろん抱きしめた幸せも多く、振り返るといい思い出しか見えづらい。

でも、もう一緒に歩いても、一緒に遠くにはいけない。
そう気づかせてくれたあの人、ありがとう。桜の下であのとき手をとってくれて、わたしを連れて行ってくれてありがとう。

恋の輝きや愛による摩耗、あなたがくれたすべての奇跡で大人になれました。
あなたが大人にしてくれたこの心と体で、ひとりでも軽やかに、遠くまで歩いてみます。