私は東京2020オリンピック競技大会のボランティアをした。コロナ禍での大会運営で、組織委員会がバタバタしていたのを目の当たりにした。
自分がどのカテゴリーで活動し、ボランティア期間などの大まかな内容以外、大会が始まる直前期まで連絡がなかったのだ。だから、自分がボランティア当日にどう動くのか、配属先のグループの責任者が誰なのか、知るまでドキドキする毎日を過ごした。

ボランティアのグループ責任者はブラジル出身の元選手

やっと、連絡が来て研修に参加すると、私の担当競技は日本ではマイナースポーツなため、ボランティアを束ねる責任者の半数は外国の方々だと知った。学生時代に英語を学び、短期留学の経験はあるもののブランクがあるため、コミュニケーションの面で不安になった。
ボランティア活動初日に、ようやくボランティア内のグループ分けや仕事内容の発表が行われた。そして私の配属になったグループの責任者は、ブラジル出身の元選手の方だった。
英語を聞き取るには、耳が慣れてくることを待つしかない。責任者は一生懸命に説明をしてくれているが、初めの2日程は何度も聞き返したり、他のボランティアの方にも再確認したりした。
幸い、帰国子女や日常的に英語を使う方が同じグループに数名いたので、通訳をしてもらうことができた。「英語は世界の共通言語」であることを再認識した。また、最初は英語を聞き取れないことや質問することに対して恥じらいがあった。だが、分かったふりをすることの方が恥ずかしいと思うようになった。
毎日英語を聞いている内に、相手が伝えたいことのニュアンスを、ぼんやりと理解できるようになった。より深く突っ込んで質問したり、自分の解釈が合っているかの確認も、責任者に直接するようにした。
結果的に、お互いに意思疎通が図れていることに安心し、任務をテキパキとこなせるようになった。

感謝の手紙。渡せなかったけど捨てることもできなかった

活動最終日が次の日に迫る中、同じボランティアの方から、その責任者に向けて「感謝の言葉やプレゼントは贈るのか」と聞かれた。
当時、東京はコロナウイルスの1日の感染者数が5000人を超えた日もあり、活動から帰宅後は買い物に行く余裕も無かった。買い物は諦める代わりに、以前に購入していたレターセットを取り出し、感謝のメッセージを綴った。
英語で意思疎通が多少できるようになったとはいえ、カタコトな英語しか口にできなかった。ジェスチャーや表情、伝えたいという気持ちを強く持ち、なんとか伝わっていた程度だ。

手紙なら、英文法や単語などをあらかじめ検索して準備することができる。そして何よりも、手紙を渡して喜んで受け取る責任者の顔を思い浮かべながらメッセージを書いた。
次の日、ポシェットに手紙を潜ませながら、タイミングを見計らって渡す計画をしていた。だが、自然な流れで手紙を手渡すタイミングを掴むことができなかった。
未だに、手紙は私が保有している。せっかく時間を割いて、思いを込めて書いた手紙だから捨てることはできなかった。

一生懸命英語で書いて思いを込めた手紙だから、年内には届けたい

解散前にグループの皆で、お互いに労いの言葉をかけて感謝の気持ちを伝え合うことができたのが救いである。その責任者とはLINEの交換をしているため、今でも連絡を取ることは可能である。
だが、責任者はブラジルに年内に帰国予定なので再会は厳しい。今更「手紙をあの時書きました」と連絡するのも少し気まずいが、捨てる前に手紙の文面を写真に撮って送るべきだと感じている。
お互い、ブラジルと日本の訛りがある英語を話し、スムーズな意思疎通が図れなかったことを悔いた代わりに書いた手紙。
手書きで書いた温もりと、一生懸命英文を作成して思いを乗せた手紙。責任者との出会いや指導への感謝を、年内には届けたい。