テレビで知ったボランティアの募集に、直感で「やりたい」と思った

私は今年、東京2020オリンピックのフィールドキャストボランティアに参加した。
2018年にボランティアの募集をTVで知って以降「絶対にボランティアになりたい」と思った。周囲に反対されたとしても、やってみたい、と直感したのだ。
日本でのオリンピックボランティア体験は、一生に一度あるか分からない。自身の気持ちに従い、応募した。

その後、面接、及びオリエンテーションの機会が設けられた。私が会場に足を運んだタイミングは、ボランティアのユニフォームが正式にお目見えになった翌日だった。
青を貴重とした、すっきり、爽快感のある大会ユニフォームのTシャツ。取り外し可能なファスナー付きズボンで、長さを各自調節できる。頭の先から爪先まで、帽子から靴まで、支給されるのだ。
まだボランティアに正式に決定していない段階にも関わらず、これら大会ユニフォームを実際に目にし、触り、興奮した。

コロナ禍で歓迎モードが一変。複雑な思いで受け取ったユニフォーム

時は経ち、私は正式に、ボランティアとして採用された。だが、オリンピック歓迎ムードは、コロナ禍で一変した。研修も、基本的にはオンラインで行われ、ボランティア同士の交流機会は少なく「オリンピックボランティアとして活動できる日は、果たして来るのだろうか」と、不安になることもあった。また「青のユニフォームで活動する私達で、東京を盛り上げよう」という内容も耳にし、複雑な思いもあった。

しかし、1年延期にはなったものの、何とかオリンピック開催が現実味を帯び、ようやく大会ボランティアにユニフォームを受け取るよう、連絡が届いた。
やっと、手元にユニフォームが来るのだ、嬉しかった。そして、今年5月。指定された場所に、ユニフォームを受け取りに行った。

面接時にユニフォーム一式を一通り試着して、希望サイズを提出していたが、2年前の出来事だ。再度試着し、自身で決めかねるものに関しては、近くにいたスタッフにアドバイスを求め、ユニフォームを正式に受け取った。
実際の活動前に家でユニフォームを飾ったり、着たり、洗濯をし、来たる東京2020オリンピックを、心待ちにしていた。

感動の裏にあった多くのサポーターの存在。その一端を担えて幸せだ

そして、とうとうオリンピックが開幕した。オリンピック開催に関する世間の声は、まさに賛否両論だった。そんな中で、青のユニフォームに袖を通し、ホテルの部屋を出発し、東京の街や駅構内を歩くことに、最初は引け目を感じていた。

「周りには、どう見られているのだろう」。批判的で、冷めた目で見ている人もいただろう。
だが一方で、駅構内ですれ違ったり、同じ電車に乗っているボランティアに遭遇した際は「オリンピック成功に向け、今日もボランティア活動を行う仲間が、存在する」と、やる気が出た。SNS上でも、自身と同じ色のユニフォームを着て、様々な会場で、様々な役割を全うしている方々の存在を伺うことができた。そして何より、日々、自発的に考えて行動し、協力し合った仲間達との絆が芽生え、次第に強固なものとなっていった。
記念に撮影する写真に写る私達は、皆同じ服装をしていた。

「東京2020オリンピックボランティア」に応募して、コロナ禍においても、自身の意志を貫き、やり遂げたことは、私の中では、間違っていなかった、と感じている。
ステイホームが推奨されている苦しい状況の中、希望が見出せない方もいたのではないか。アスリートの日頃の練習の成果や思いをぶつけた、オリンピック本番。アスリートの姿に感銘を受けた人々は、少なくないだろう。

そして、その感動の裏には、多くのサポーターの存在があった。微力ながら、私もその一端を担えたのなら、幸せである。
オリンピックやパラリンピックが閉幕した現在も、時折、ユニフォームを眺めている。
貴重な経験を共にしたユニフォームは、これからも私の宝物である。