ギリシア神話の英雄アキレスは、唯一の弱点であるアキレス腱を矢で射られたせいで、命を落としたという。
わたしは英雄ではないから弱点ならたくさんあって、とりわけ「音」によるダメージを受けやすい。

最もひどかったのは中学生のとき。あらゆる音が敵だった

わたしが苦手な音はたくさんある。電子的な音、掃除機やドライヤーの風の音、貧乏ゆすりのカタカタいう音、人の呼吸の音。音に敏感で、音によってひどく疲れたり、過剰に反応してしまったりするこの体質を「聴覚過敏」と呼ぶと知ったのは、つい最近のことだ。

聴覚過敏の症状は、子どもの頃にはすでにあった。最も症状がひどかったのは中学生のときで、あの頃はあらゆる音が敵だった。音のせいで精神がすり減る毎日で、あんな思いはもう二度としたくないと今振り返っても強く思う。

その一方で、「もし過去に戻れるとしたら?」と聞かれたら、間違いなく「中学時代」と答えてしまうのには、理由がある。

音のせいで授業に集中できない。絶対に「大人に相談」案件だったのに

けれど、その前に、音について話させてほしい。
音の中でわたしが特に苦手なのが、他の人の呼吸音や、鼻水をずるずるすする音なのだが、教室でこれらの音を聞かずに過ごすのは難しかった。人数に対して教室は狭く、静かな中で授業は行われたし、教室にはいろんな体調の子や、いろんな体質の子がいたからだ。しかたないとはいえ、特に鼻炎の子が増える時期はつらかった(ちなみに、大人の人でも鼻をすする人がよくいるが、外国だと鼻水はすすらずに「かむ」のがマナー。日本でも小さいうちから教育してくれればなあと個人的には思う)。

苦手な音が聞こると、集中できなくなり、いらいらし始め、ぎゅーっと苦しい気持ちになった。中学時代、ひどいと手まで震えていた。
音のせいで授業に集中できないなんて、今思えば絶対に「大人に相談」案件だったのだが、当時のわたしはそれをせず、ひたすら耐えてばかりいた。

それは、伝えることがうまくできなかったからだ。例えば、親に「音が苦手」と言えはしても、それが自分にとっていかにキツいことなのか、どれほど疲れることなのか、伝えられてはいなかった。

「強いし偉い」。いつしか、耐えることにやりがいまで感じていた

というか、「自分の感じていることを伝え、現状を変えていく」なんて発想が、そもそもなかったのだ。与えられた現状を、自分をすりつぶしながらこなしていくのが正しいと思っていた。
真面目だったんだろう、わたしは。与えられた問題をひたすら解いていくように、与えられた状況を我慢し、耐え抜くことしか頭になかった。
耐えることに、いつしかやりがいまで感じていた。耐えられる自分は強いし偉いと思っていた。全然そんなことはないのに。

耐えることが、一時的な対処療法でしかないと気づいたのは、もっと大人になってからのことだ。もちろん、耐えることが必要な場面はあるものの、耐えていればすべて解決すると思っていたのは間違いだったと今ならわかる。耐えるだけでは、物事は前進していかない。耐えることは万能ではない。

それにも関わらず、わたしは苦手な音をひたすら耐えるばかりだった。幼かったとはいえ、当時の自分を後悔している。なぜなら、わたしが誰にも打ち明けなかったせいで、「聴覚過敏のわたし」は他の人にとって存在していないことになるからだ。

もし、人にもっと打ち明けていたらどうなっていただろう

そしてこれが、過去に戻るなら中学時代に戻りたい理由へとつながる。
わたしは、自分の感覚を押し込めてばかりいた。聴覚のことで、本当はつらかったにも関わらず、わたしは自分の感情に「つらい」という名前をつけず、無視して、押し殺そうとした。おかげで、中学時代に対する薄暗い思いだけが、今も心に残された。

もし、人にもっと打ち明けていたらどうなっていただろう。家族に、友人たちに、先生に話していたら。
もしかしたら、全員が全員、理解してくれるわけではないかもしれない。聴覚過敏を「我慢不足」と捉えられることもあると聞くから、必ずしも味方してくれるわけではないかもしれない。けれど、伝えていたら。
あの頃に戻れるなら、わたしはきちんと、自分の感覚について話せる自分でありたいと思う。