もし、あの日まで時間を巻き戻せたら。過去の自分を抱きしめてあげたい。
あの日、震える手でドアを開けて会社へ行こうとしたその手を。駅のホームのベンチで、会社へ行く電車を何本も見送ったその背中を。
「あのね、無理に行かなくていいんだよ」と、抱きしめてあげたい。
「完璧じゃなくていいんだよ」と、自分を許してあげたい。

不満やストレスを抱えて、身体の不調も上手くごまかして仕事していた

新卒入社して、もう数年が経つ。社会人なんて、皆何かしら不満やストレスを抱えて生きているんだと分かった。日々発生する身体の不調も上手くごまかして、なんとかお金を稼いで生きている。私よりももっと苦しくて劣悪な環境に身を置いて、それでも仕事をしている人がいる。
「私はまだ良い方だ」本気でそう思って仕事をしていた。いや、そう思わなければ、私の中のバランスが崩れる気がした。

それは、突然だった。ある朝、ベッドから起き上がれなくなった。身体を誰かに押さえつけられているみたいに、動かなかったのだ。とても自分の身体とは思えなかった。
「今日休ませてほしい」と会社へ連絡できたのは、それから数時間後だった。まだ始業前だったことに心から安心して、疲れが溜まっていたのかな、沢山眠ればまあ大丈夫か、そんな風に安易に考えた。
けれど、その現象は頻繁に起こった。休日に沢山寝ても、平日早い時間に就寝しても、同じように起き上がれないことが増えていく。でも、会社は休まなかった。
休んでいい理由がなかった。だって、「私より大変な仕事をしている人がいる」そう信じていたから。
震えながら家の玄関のドアを開け、会社へ行く電車に何故か乗れなくて何本も見送り、時折激しい息切れが起こり、仕事中に突然涙が出た。重い頭痛は日常的な痛みへと変わり、ある日ふとキーボードを打つ手まで震えていた時は、何故か笑えてしまった。
「毎日、綱渡りをしているみたい」そう思った。落ちたら終わり。ゴールの見えない、綱渡り。観客のいない、私一人の、綱渡り。暗闇の中どこに行くのかもわからないまま、歩いている気がした。

ある朝片耳が聞こえなくなり、医師に「突発性難聴」と診断された

そして数か月後のある朝、私は片耳の音が聞こえなくなってしまった。会社は午前休を取り、急いで耳鼻科へ向かった。
「突発性難聴です」先生にそう言われたとき、私は不安と恐怖で一杯になった。元に戻るかも分からない、今まで通り生活が出来るのかもわからない。
会計を済ませ病院を出た後も、頭の中はパニックだった。しかし、身体が自動的に会社へと足を運ばせ、いつの間にか仕事をしていた。
暫くして電話に出た時、相手が何を言っているのか分からず混乱した。「ああ、こっちは聞こえないんだ」そう思って反対の耳にあてたが、いつものようには聞こえなかった。
それは片耳が聞こえない、というような違和感ではなかった。完全に音が私の世界から消え去ろうとしているのを感じた。

私はいつから、綱渡りに失敗していたんだろう。いつ落っこちてしまったんだろう。私はこれから、どうなるんだろう。
このまま仕事をどう続けるのか、辞めるべきなのか、明日また病院へ行かなくちゃ、色んな考え事が頭の中を駆け巡る。
ただ一つだけ、明確な答えがあった。「私がこの身体を守らなければ」。

身体は何度もSOSを出していたのに、限界だと教えてくれていたのに、私は気が付かないフリをした。他に生きやすい道が沢山あったはずなのに、たった1本の綱渡りをしていた。
自分の身体を抱きしめたくなった。過去の自分を、今の自分を救いたいと思った。私はやっとその日、声をあげて「助けて」と泣いている自分に気が付いた。
上司に自分の状態を説明し、休暇を頂けることになった。仕事を途中で離れる悔しさもあったが、身体より優先すべきことなんてなかった。初めからそうだったのだ。

完璧である必要はない。少しでも身体に異変が起きていたら休んでもいい

あの頃の私は負けず嫌いで、絶対に妥協をしたくなくて、上司を見返してやりたかった。ギリギリで仕事をして生きていくのが、「当たり前」だと信じていた。復讐心に似たようなものを持っていなければ、私は仕事をすることが出来なかった。
そして、それが「異常」とも気が付かなかった。自分の弱さを認められなくて、ごめんね。

もし、私と同じような人がいたら。このエッセイと出会ってくれていたら。どうか、自分の身体を守ってください。
完璧である必要はありません。限界を誰かと比べる必要はありません。少しでも異変が起きていたら、休んでください。綱渡りをするように生きる必要はありません。他に道は沢山あります。危ない道から逃げてください。あなたの身体の声を、叫びを、愛してください。
あの日に時間は戻せないけれど、あなたに、この思いが届きますように。どうか、どうか、お願いだから。