私が人生で初めて「立ち止まった」のは、新卒で入社した会社を休職した時だ。
それまで、有難いことに、大きな病気や怪我をしたことがなく、家庭環境も比較的良好だったので、スムーズに、幼稚園に入園してから就職するまで、一度も立ち止まらずに人生を過ごすことができていた。
もちろん、学校や会社に行きたくないと思ったことは数えきれないくらいあったけど。
物心ついた時から「休むことは悪」という価値観が刷り込まれていった
中学校ではいじめにあったり、友達ができなかったりしたので、本当に学校に行くことが嫌だった。母親に「学校に行きたくない」と泣いて訴えたことがあったが、聞き入れてもらえず、「学校に行きなさい」と家から引きずり出されるのが日常茶飯事だった。
いじめられていることを親に話せていたら、学校に行かなくて済んだかもしれない。だが、親に心配をかけたくなかったし、何より自分の「プライド」が許さなかった。「いじめられている人」というレッテルを貼られてしまうのが、とてつもなく嫌だったのだ。
そんな生活を送るうちに、私の中に、「休むことは悪」や「休むのは愚かな人間がすること」という価値観が刷り込まれていった。なので、大学に進学して、社会人になって働き始めてからも、少し体調が悪いくらいでは休まなかった。とにかく「休んではいけない」という価値観が私を支配していたのだ。
そんな、休むことが大嫌いだった私にも、「強制ストップ」がかかる時が訪れた。2019年9月、私は会社を休職することになった。
ある朝会社に行けなくなり休職。私を襲ったのは「希死念慮」だった
ある朝、会社に行けなくなり、そのまま2ヶ月間の休職期間に入った。もともと、適応障害と診断されていたので、すぐに診断書をもらうことができ、会社に診断書を送って、休職期間に入った。人生で初めて、「行かなきゃいかないのに、休む」ということを経験した。
休職期間に入って最初の1ヶ月間は、職場への申し訳ない気持ちと、自己嫌悪感、希死念慮が幾度となく私を襲ってきた。特に辛かったのは、不意に襲ってくる「希死念慮」だった。辛い出来事を思い出して「死にたい」と思うというよりは、ふと何でもない時に「死んだら楽になるかも」という考えが頭の中を支配する感じだった。
ベランダに出て洗濯物をしまう時に、ふと見下ろして「飛び降りようかな」と思ったり、夜寝る時に、ハンガーにかかっているスカーフを見て「あのスカーフで首を吊れるかな」と何度も想像したりもした。
でも、その度に、主治医の先生が「必ず良くなるから、死なないって約束して」と言ってくれたのを思い出して、思いとどまることができた。その時先生とした「約束」があったから、私は地獄のような毎日を何とか生き抜くことができたのだ。
休職2ヶ月目、10月に入ると、少しずつ日常生活を送ることができるようになっていった。気分の落ち込みはあったものの、希死念慮が少しずつ消えていくのを実感した。この頃になると、担当のカウンセラーさんのアドバイスを参考にして、日中に愛犬の散歩に行ったり、近所のカフェや図書館に行ったりするようになった。
少しずつ外の空気に触れることが楽しいと感じるようになっていった。信頼できる友達や家族と、外食もできるようになっていった。こうして、少しずつではあるが、色々なことを「楽しい」と思えるようになっていったのだ。
「頑張ってもできないことはある」ことを休職期間に身をもって実感した
10月の終わり、私は退職する旨を会社に伝えた。会社に行くのは怖かったので、総務部の社員さんと、会社近くのカフェで会って退職手続きをした。ずっと憧れていた会社で、もっと沢山の夢を叶えて、キャリアアップしていきたかった。心残りは正直あった。
だが、精神的にも肉体的にも、もう自分には無理だと思った。今まで「努力すれば何でもできる」と思っていたし、夢を叶えるためならどんな辛いことも頑張っていれば、叶うと信じて疑わなかった。でも、「いくら頑張ってもできないことはある」ということを、休職期間に身をもって実感した。
そう思ったのと同時に、自分の周りにある「小さな幸せ」をたくさん見逃していたことに気づいた。例えば、私を見つめる愛犬のつぶらな瞳、小さくて可愛らしい手足、耳を澄ますと聞こえてくる寝息。愛犬と散歩している時に、ふと見上げた空の青さ、金木犀の優しい香り、道端に咲く小さな花。そして、適応障害ということをカミングアウトしても、これまでと全く変わらずに接してくれる大好きな大学時代からの友人達。
私は、夢を諦め、挫折した人間だ。今はまだ「あの休職期間があったから今がある」なんて大そうなことは思えない。でも、あの休職期間は、間違えなく私に「本当に大切なもの」に気づかせてくれたのだ。人生で初めて「立ち止まらないと見えないもの」に気づかせてくれたのだ。
辛い時期ではあったが、私の人生において「必要な期間」であったことは間違いないと思っている。