突発性難聴を発症したのは、まだ中学生の頃だった。
当時はテレビの音が聞こえにくいぐらいで、大して気にすることは無いと思っていた。
だけど、年を重ねるにつれ人より聞こえないことは私の足枷になった。
にこにこしているだけでは世の中渡っていけないのだ
低い音は通常の半分。高い音はもう少し聞こえる。やや複雑な難聴。
総合的に見て、障害者と判断されないが通常とは言えない。
そんな両耳を持って迎えた社会人は思ったよりもしんどかった。
聞こえないことは自信と声を奪う。
言われた内容に自信が持てないから、対応する自分にも自信が持てない。
何を言われたか言葉として判別できないから、何も言うことが出来ない。
上司からの指示内容に自信がない。大人数での会話や、電話先からの言葉が聞き取れない。オフィスで遠くから声をかけられても気付けない。
会議なんて行われれば、周囲の声を聞くのに必死で意見どころではなかった。
学生時代も聞こえない場面は多かったけれど、笑顔で誤魔化して乗り切ってきた。だけど、社会人になると誤魔化しは通用しない。
にこにこしているだけでは世の中渡っていけないのだ。
鬱で仕事にいけなくなり、やっと自分の耳を受け入れた
その頃の私は耳が一般よりも聞こえづらいことを認めるのを無意識に嫌がっていた。
友人関係も狭いタイプなので、学生時代は本当に支障がなかったのだ。
それなのに社会人になった途端、自分が難聴だったことを急に自覚させられた。認めたくなかったのだと思う。補聴器を常にはめて生活するのが嫌で、出来なかった。
私は誤魔化し足掻きながら仕事をした。時には先輩の力を借りながら、聞こえないことから逃げた。
返事が遅れて、時に誤魔化すことで仕事が出来ない人間として見られるようになった。
それでも私はまだ足掻いた。
そうやって五年以上過ごした頃、崩壊は突然やってきた。
鬱で仕事にいけなくなったのだ。一人空回りしていた日々は唐突に終わりを告げた。
強制的な休みの間。
自分の耳に向き合い、友人の言葉を得て、やっと自分の耳を本当の意味で受け入れた。
自分の身体は自分とは切り離せない。自分の人生と離して考えることは出来ないのだ。
そんなことをにやっと気が付いた。
まず耳が悪いことを大っぴらに宣言することにした。
手始めに美容室で「ちょっと耳が悪いので」と伝えた。それだけで今まで適当に流すこともあった会話は幾分かスムーズになった。
プライベートで過ごすときも補聴器をはめるようになった。思っていたより、周囲はもっと音に溢れていた。
諦めていたところから受け入れるように気持ちを変えたことで、世界は随分と息がしやすくなった。心が変わると世界も一緒に変わるのだと思った。
受け入れないからコンプレックスだったのだ
新しい仕事の面接を受けた時「耳が悪いので電話に自信がない」と宣言した。
何か名簿などがあれば対応できる自信があるとも付け加えた。
電話に自信がないなんてマイナス以外の何ものでもない。これを理由に断られてもおかしくない。だけれど、誤魔化して仕事をしたくなかった。
決まってから『実は耳が悪いんです』なんて言い訳をしたくなかった。
自分の耳をただの足枷にはしたくなかったのだ。足枷にして逃げ出すのはやめたかった。
そうして今、私は新しい場所で仕事をしている。
電話は誰よりも早く出るようにした。自分で電話名簿を会社ごとに作成した。
工夫しながら足掻いて、私は今仕事ができている。
もっと早くこうすればよかったと思う。切り離せないのなら、受け入れるしかなかったのに。
受け入れないからコンプレックスだったのだと、私は最近気が付いた。
今私は、私を受け入れてくれた場所で、出来ることを前向きに取り組んでいる。
これからも取り組んでいきたい。
だって私は、この身一つで生きているのだから。