耳にこびりついた「お前が鬱になれよ」。壊れた姉を止められなかった
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あの日に戻れるなら……私は一体どの日に戻ればいいのだろうか。
私には戻りたい日が多すぎる。
小学生の時、あのピアノ教室に行ってみればよかった。
中学生の時、好きな人に想いを伝えてみればよかった。
高校生の時、文化祭で歌を歌ってみればよかった。
そして、姉が壊れたあの日、私が止められたらよかった。
元々、姉とは折り合いが悪かった。
喧嘩が多く、きっと姉は私が嫌いなんだろうなとずっと思っていた。
私もまた、特技や人気がある姉にどこかでずっと劣等感を感じていたのかもしれない。
だけど、お互い年を重ねて、喧嘩も減って、どこにでもいる普通の姉妹になっていた。
そんな高校時代のある日、突然に姉が壊れた。
仕事で抱えた悩みと、家で起こった問題がきっかけで姉は心を病んだ。
部屋に籠ったきり出てこなくなった。
しばらく経つと、消えたいとこぼすようになった。
またしばらく経つと、情緒が不安定になり、自分を責めていた思考が、誰かのせいにしたい感情に変わった。
もう一人の姉は、はっきりと物怖じせずに反論ができる性格だった。
その真っ当すぎる反論に、暴れる姉を何度も見た。
羨ましいと同時に、ビビりな私には真似できなかった。
だからこそ、姉が一番攻撃しやすかったのは、妹の私だった。
やることなすこと全てに不満をぶつけられた。
姉は、私が夜まで遊ぶことも、母と喧嘩することも、疲れることすらも許さなかった。
最初は反論していた私も、目の前の相手は自分の知っている姉じゃないことに気付き始め、抵抗を諦めた。
「お前のせいでこうなった」
「お前が鬱になれよ」
部屋を隔てる壁を殴る音と叫び声が、今でも耳にこびりついている。
姉がつらいことも分かっていた。
両親がつらいことも分かっていた。
でも、ずっと言えなかったけど、私だってつらかった。
だけどそんなことは何があっても言えなかった。
やっとの思いで打ち明けた学校の友達には「重すぎて聞いてられない」とハブられた。
それ以来、優しい親友に話すことすら怖くなった。
我慢して、堪えて、過呼吸や胃液の逆流が起き、心も身体も苦しくてたまらなかった。
あの日に戻れるなら、どんなに良いだろうか。
そう思う私を置き去りに、私以外の家族はみんな前に進んでいく。
姉は素敵なパートナーと幸せを掴み、症状はもうほとんど回復した。
両親はよかったと心底嬉しそうだった。
家を出たもう一人の姉も変わらぬスタンスで勇ましい。
それなのに私だけあの日から進めない。
最近毎日のように罵倒される夢を見る。
目が覚めると頬に涙が伝っている日もあった。
あれ以来友達を作ることが怖い。
辛いとき、また捨てられたら立ち直れないから。
周りの人が壊れてしまうのが怖い。
自分のせいで誰かが不快になっていないか怖い。
些細なミスをしただけで、自分には価値がないと思ってしまう。
友達が不機嫌だと自分のせいかもしれないと思ってしまう。
先輩がため息をつけば、自分がやらかしたのだと思ってしまう。
気を遣いすぎて、友達と遊ぶと帰宅後疲れ果てる。
遅く帰ったら家が荒れそうで、夜に出かけたくなくなった。
冒頭、あたかも姉を救いたいかのように私が止められたら……なんて書いたが、偽善もいいところだ。
もちろん姉が苦しそうな姿を見てきた分、救いたかった気持ちもある。
だけど、何よりも……何も背負っていなかった前の自分に戻りたいのが本音だ。
あの日に戻れるなら……姉が壊れる前に助けてあげたかった。
みんなで笑い合える家族仲を守りたかった。
誰かに守ってほしかった。
受け止めて、偉いと認めてほしかった。
しかし、現実は厳しく、あの日は戻ってこない。
皮肉にもこの経験で諦めが良くなってしまった。
あの日に戻れないから……私は今の自分を受け止めて、あの日の自分の分も同じ思いをする人を認めてあげたい。
人間生きてるだけで偉い!
このエッセイで、誰かが前を向くきっかけになってくれれば、あの日の私も少しは報われる。
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