24歳の誕生日の朝、母からのお祝いのメッセージには、「もうお母さんが結婚した年になったのね」と添えられていた。
浪人もして、大学生活4年を終えても飽き足らず大学院生にまでなって、自分の好きなようにのらりくらり生きている我が娘に、きっと母は「結婚はまだまだ先ね」と諦めているのだろう。

離婚で苦しんでいる母を見て、恐ろしく感じていた「結婚」

「結婚」という言葉への私の感情は、ここ2年で大きく変わっていた。
「もしもさ、数年付き合ってプロポーズしてくれても、私、多分すぐにはいって返事できないんだろうなって思う」
元彼にこの言葉をこぼしたのが2年前。私の父と母は、私が小学生の頃、父の金銭トラブルを皮切りに、喧嘩別れのような離婚をした。紙切れ一枚の契約と契約破棄、でもその紙切れによって、私が受けたインパクトはそう小さくなかった。
離婚後、母は、離婚を知られてはいけない、悪いことのように振る舞っているようだった。友達に親の離婚のことを話したことに、苦々しい顔をした母に、私はやってしまったと後ろめたい気持ちでいた。母はまた、父と私の交流も快く思っていないようだった。
私の高校卒業時、父は子供こそいないが、新しい家庭を持っていることを私と母は知った。その時の母の泣きそうな、嘲笑とも言えぬ表情。
離婚してなお、父は母を苦しめている。母の時計は、結婚した時のまま止まってしまっているのではないか。そんな母を見ていたら、結婚が恐ろしいもののように感じられて、仕方がなかった。

どことなく父に似ている恋人とは、結婚を考えられなかった

女の子は父親のような人を彼氏に選ぶ、なんて都市伝説のようなものの通り、私が大学生になって初めてできた恋人は、どことなく父に似ていた。深く付き合えば付き合うほど、彼は父に悪い意味で似ていると気づいていった。
きっとこの恋はうまくいかない、確信めいたものがよぎり始めた。それでもどこかで、母と私は違うし、そもそも父と彼も違うから、うまくいく未来だってあるかもしれない、と思いたかった。
「もしもさ、数年付き合ってプロポーズしてくれても、私、多分すぐにはいって返事できないんだろうなって思う」。そう何気なくを装って彼に告げた夜、彼は「いや、それは可哀想だろ」と私の理由も聞かずに、跳ね除けた。
ああ、そうか。そうだよな。私の結婚に対する複雑な気持ちなんて、この人は理解できないんだよな。仕方ないんだよな。だって他人だもの。
その瞬間、3年間の付き合いの間に湧いていた情が一気に冷める想いがした。その1ヶ月後、彼とは別れた。

「お母さんに紹介したい人がいるの」。安心感のある恋に出会った私

彼と別れて、私はなんとなしに、父との関係をどうにかしないことには結婚に対して前向きになれないと感じていた。
ちょうどその頃、ちょっとした機会があって、断絶していた父との交流が再開した。父と、父の奥さんと初めて会った時、素直にお似合いだと思った。だらしのないところのある父を受け止め、支えるパワフルでおおらかな彼女のことが、私はすぐに大好きになった。
ああ、これが父の「結婚」なのだ。きっと彼女は、父の最期まで添い遂げてくれる、そう確信した。
それから少しして、私には新しい恋人ができた。彼とは6つ歳が離れていることもあって、私はこれまで誰にもできなかった「甘える」ということができる。ドキドキする恋愛的な側面こそ正直薄いが、一緒にいると安心する。愛情があると感じている。
彼が三十路で結婚適齢期だから、「結婚」というワードもよく会話の中で出てくる。彼の仲睦まじい、素敵なご両親にも会った。
2年前じゃ考えられないくらい、私は彼との「結婚」がしっくりきている。それに、一回くらい失敗してもいいじゃない、なんて呑気な心の余裕まである。
母からの24歳の誕生日祝いのメッセージへは、「まだ学生だから、あと2年くらいは結婚とはならないかも知れないけれど、落ち着いたら、お母さんに紹介したい人がいるの」と、ちょっとドキドキしながら返した。