いつからだろうか。
結婚について考えるとき、「結婚できるかな」や「何歳で結婚したいな」ではなく、「そもそも私、結婚したいのかな?」と考えるようになったのは。

ちょっとした機能不全家族に育った私。アル中の父と、ひたすら父の愚痴を言う母

初めに、私の聞き苦しい言い訳から聞いてほしい。
私の家族は、たぶん所謂、ちょっとした機能不全家族だった。正確には私が中学を卒業するあたりから、機能不完全家族っぽくなった。
父がアル中になって、ここには書ききれないほどの理解し難い言動をするようになり、私はほぼ毎日、母から父の悪口を聞かされた。私に対して話をするというより、サンドバッグを殴るように母は父の悪口を言った。このときサンドバッグになったのは、私の心や家族を大切にしたいという私の気持ちだった。
母の口癖は「パパの給料は安いから、うちにはお金がない」だった。
私は「離婚してもいいよ」と言ったことがあった。でも、私たち兄弟を進学させるためにと、母は離婚はしなかった。
結局、母も父より稼ぐ力がなかった。
ときに私の進学は、離婚に踏み切れない母の言い訳に使われているような気さえしてしまった。

初っ端から両親の酷い紹介をしてしまって申し訳ない。ただ、離れて暮らすようになった現在、私は彼らを憎んではいない。
むしろ客観的に「このくらいの機能不全家族はよくあることだ」と思えるようにもなった。
私が辛かったことは変わらないし、自分の過去の傷を蔑ろにするわけではないけれど、多少良くない家庭環境だったとしても、いつまでも「自分は可哀想」とか「恵まれてなかった」と思わずに、未来に希望を持って明るく生きている人はたくさんいるだろうし、私もそうありたいと思うようになった。

永遠に変わらない人間はいないから。永遠を誓う結婚には希望を持てない

ただ一つ、どうしても希望を持つに至れないのが「結婚」という分野だ。
母はよく「パパは昔はあんな人じゃなかった」と言った。
そう、人は変わる。そしてときに最悪な変わり方をする。私は身をもって実感している。変わるかもしれない他人と永遠を誓うなんてできるだろうか。

それに、父はよく「俺は家に帰って誰もいなくても全然平気」と言った。1人で酒を飲んでテレビを見ている方が、家族が家で待っていることより悦びらしい。
でも、私から見た父は、本当はとても寂しがり屋で、家族がいなければすぐに腐ってしまうような人だ。たしかに父は酒で変わったけれど、酒が父を変えたというより、酒が父の本質を暴いたという方が正確だ。
「俺は家に帰って誰もいなくても全然平気」
父のこの発言が本心かどうかはさて置き、若くて未熟な私はこの発言を真に受け続けていた。
私は、家で家族が待っていることを心から喜ぶ男の人をまだ知らない。私が毎日家で待っていることを、心から喜んでくれる人が、この世のどこかにいるのだろうか。そして私はそういう人を愛せるのだろうか。わからない。

でも、いつか本気で結婚したいと思ったときは

さあ、ここまでダラダラと個人的なことを書いてしまったが、要約すると「私はちゃんとした家庭で育たなかったから、結婚に積極的になれない」になる。
初めに「聞き苦しい言い訳を聞いてください」と言ったのは、そういうことだ。今まで書いたことは全部私の言い訳だ。

10代の頃、両親に向かって「あんたたちの価値観が全てじゃない!」と叫んで化粧台の椅子を投げた。すごい音を立てて、部屋の窓ガラスが割れた。
「私はあんたたちとは違う生き方をする!」と言って、高校生のときから勝手に水商売を初めた。知らない世界が私を待っていた。

もし今後、本当に結婚したいと思ったときは。
反抗期の頃のような、少しトゲすらある強さを持って、私は過去を吹っ切って、自分で自分の幸せを掴みにいこう。新しい幸せのために踏み出す一歩に、言い訳は必要ないことを、今の私もちゃんとわかっている。