おかあさん、ごめんなさい。あんなに幸せな時間をたくさんくれたのに、恩を仇で返すようなことをしてしまってごめんなさい。何があってもあなたの味方だと言ってくれていたのに、相談もせずに決めてしまってごめんなさい。電話も出られなくてごめんなさい。勝手に離れてしまってごめんなさい。
四六時中、愛する人と同じ時を過ごせるなんて夢のようだった
出会った当時の彼は、海がよく似合う人だった。サーフィンのアマチュア大会で優勝した経験を持つほどの腕前だった。よく海に連れて行ってくれては、波乗りを見せてくれた。
185センチの彼が繰り広げるサーフスタイルはワイルドでかっこいい。
彼との出会いはマッチングアプリだった。サーフボードを脇に抱えて、恥ずかしげに笑う写真が彼のプロフィール画像だった。きっとわたしの一目惚れだった。写真の中の彼が話す言葉や、声や香りまでも想像できた。
わたしから彼にアプローチした。連絡を取り始めて3日後に会って、2週間後には同棲をはじめていた。
わたしたちは互いに孤独だった。そう思い込んでいた。あっという間に2人の世界に入っていった。
そう、彼には妻子があった。彼はその奥さんとの別居生活が長く、海のそばの一軒家に犬と暮らしていた。夜になるとさざなみの音が心地よかった。そんな小さな家に私の居場所ができたことがこの上ない幸せだった。わたしは彼の仕事を手伝って生計を立てた。理想通りの生活だった。四六時中、愛する人と同じ時を過ごせるなんて夢のようだった。
彼は、もう誰かと再婚する気はないと言った。わたしは絶望した
そんな幸せな時を過ごしていたある日、離婚を承認してくれたと彼が無表情でわたしに告げてきた。わたしは嬉しかった。彼はわたしと結婚してくれる気になったのだと思った。
それは20代のちいさな女の子の、大きな勘違いだった。
わたしがずっと彼との温度差に不信感を抱いていたからなのだろう。彼はわたしの目を見ずに、もう誰かと再婚する気はないと言った。もう結婚はこりごりだとも言った。
わたしは絶望した。彼との子供が欲しかった。彼は優しく、子供のあつかいが上手で理想の旦那さんになってくれると思った。しかし、人生はわたしの思い通りにはいかないと悟った。
わたしは23歳だった。わたしは彼が大好きだった。彼がいないと生きていけなかった。
そんな精神状態が普通ではなく、異常であるなんて当時のわたしは考えもしなかった。それでもわたしは幸せだった。彼のそばに居られるなら結婚しなくてもいいとさえ思った。気づけば彼と出会って4年が経っていた。
彼のお母さんとの交流がはじまった
4年目の元旦に彼は母親に会わせたいと言った。期待をしないように生きる癖がついていたわたしだったが、久しぶりの胸の高鳴りを感じた。彼のお母さんに会えるなんて素直に嬉しかった。
お母さんは私たちの突然の訪問に驚いていたが、即席で年越しそばと南瓜の煮転がしを振る舞ってくれた。どうやら彼は事前に連絡していたわけではなかったようだ。いいとか悪いとかではないが、男性というのはどうもそういうところがあるように思う。
それから彼のお母さんとの交流がはじまった。旦那さんとの出会いや、学生時代の恋バナも聞かせてくれた。わたしは嬉しかった。家族が増えたように感じた。お母さんは本当によくしてくれた。早くに旦那さんを亡くしていたせいか、とても強い人だった。弱音を吐くことなんてなかった。
しかし、レーシックの手術の前に、「あなたの声が聞きたくて」と電話をくれた。手術の日は病院まで送らせてほしいとお願いしても、お母さんは受け入れてはくれなかった。それなのにお母さんがわたしの声を聞いて安心したと言った。
あたたかくなった。わたしの全部が一瞬であたたかくなった。そんな幸せな日を過ごしていた。
あんなに大好きだった彼をわたしは徹底的に避けた
それなのにわたしたちはお別れをした。海のそばの小さな街なので、出かけるたびに彼に会ってしまうのではないかとどきどきした。あんなに大好きだった彼をわたしは徹底的に避けた。
なぜなら、彼の声を聞いたら彼の元へ戻ってしまうかもしれなかった。わたしは疲れていた。彼との未来には、だんだん雨雲がかかり始めていたから。
お母さんには彼から伝えてもらうことにした。だから、最後にお母さんとどんな言葉を交わしたのかさえも思い出せない。
お母さん、ごめんなさい。どうか、どうか長生きしてください。あとね、おかあさん。わたしはもうすぐ結婚します。