その物の値段が高いからと言って、美味しいものとは限らない。逆に、その物の値段が安いからと言って、美味しくないものとは限らない。
値段と味の美味しさは比例しない。使っているものが高級かによって値段が上がる場合もあるが、美味しいか美味しくないかは、人によって異なるだろう。
私にとって忘れられない味は、2個入り98円の合わせ餅だ。スーパーで売っていたそれは、私の中では美味しい物であった。
嫌な一日になると思っていた私に、お兄さんがくれた嬉しいこと
食べた季節は春。しかも今年の春であり、私の誕生月の4月であった。
その日は朝から大変だった。慣れているはずの階段を上ると、派手につまずいて膝下が青痣になった。
歩く度に痛い。歩いていなくても痛い。
駅でメイクを直そうとすると、アイライナーを家に忘れていることに気づいた。ため息が出る。仕方がなく普段はしない黒のマスカラをつけた。
朝からその調子のため、仕事はやる気が出ない。
膝はかなり痛い。
ちなみに、事が起こった昼過ぎには、カートにおでこをぶつけて、たんこぶを作った。
「嫌な一日だった」と書きたいところだが、全てが全て嫌ではなかった。寧ろ嬉しいこともあった。
その日の昼、仕事先で、たまたまその日だけ、よく話をするお兄さんが私の目の前の席に座った。どうやら、いつも座っている座席が座れなかったようだ。
目の前に座ったお兄さんからいただいた物が、私が美味しいと感じる合わせ餅だった。
恐らく、そのお兄さんからいただいた最初で最後のいただき物になるであろう(なかなか人に物をあげるようなキャラではないので)。
お兄さんがくれた合わせ餅。嬉しくて、忘れたくなくて写真におさめた
2個入りの合わせ餅のパックが私の前に現れた時、それはまっしろい蒲鉾に見えた。おせちに入っているような白い半月っぽい蒲鉾。
「何この人蒲鉾食べているの?」と思いながら、
「それ、何ですか?」
と聞いた。
蒲鉾ではなく、合わせ餅だった。弾力がありそうなお餅の中にこし餡が入っている。
「いる?」
と聞かれたので、遠慮せず1個いただいた。
私は笑いながら、
「私への遅くなった誕生日プレゼントですか?」
と聞いた。
「……そういうことにしといて!」
お兄さんも一瞬間が開きつつ笑って言った。
私の誕生日から2週間程過ぎていた。
嬉しくて、私はすぐスマホで写真におさめた。勿論、合わせ餅を。お兄さんに聞かれないように、音が鳴らない自撮り加工用のカメラを使って。
写真におさめたのは、忘れたくないからだ。この思い出を。その人との思い出を。お兄さんは知らないだろう。
合わせ餅は美味しかった。餅がモチモチし、その中にこし餡がきゅっと入っていた。リピートしたくなった。
突如スーパーから消えた合わせ餅。また食べたいのに、何処にもない
数日後、その合わせ餅の味が忘れられなくて、スーパー巡りをした。そして、合わせ餅を見つけた。
2個入り98円の合わせ餅だ。
私は思わずそれを手に持ちレジへ行った。
あれから半年以上が経った。合わせ餅は、スーパーから突如姿を消した。
系列のスーパーに寄っては見てまわったが、何処にもない。お団子やどら焼き、大福などはあるのに、合わせ餅はなかった。
また食べたいのに、何処にもないのだ。
半年以上経っているのに、あの味は忘れられない。
あの日できた青痣もたんこぶも今はもうない。時が経てばなくなるものは確かにあるが、合わせ餅はなくなって欲しくなかった。